2015年1月8日木曜日

シャルリー・エブド襲撃事件の衝撃

 風刺画で有名なフランスの新聞社シャルリー・エブドで、昨日、白昼堂々とイスラム教過激派による銃撃事件が起き、編集長や有名な風刺画作家、また、警察官を含む12人が銃殺された。
 このニュースは、プライムタイムのニュースの冒頭で伝えられたが、ヨーロッパ全土を震撼させている。次はどこが狙われるのか、と各国共々厳戒態勢に入ったと思われる。
 犯人は3人、一人は自首したが、後の二人の容疑者はまだ逃走中。欧州連合で国境が閉じられていないため、どこで次の事件が起きるかわからない。
 犯人と思われる3人は、いずれも、フランス生まれのフランス育ちのイスラム教徒であるという。かつて2004年に、オランダの映画監督を暗殺した犯人もオランダ生まれのイスラム教徒だった。当時、オランダの教育界では、「なぜオランダの学校で育ったにもかかわらずこのようなことが起きたのか」と大議論となった。以後、「表現の自由」「他者の尊重」を教えるシチズンシップ教育がすべての初等・中等学校に義務化された。
 こうした事情は、イスラム教系移民の多いデンマーク、ドイツ、フランス、イギリスなどでもほぼ同じだと思われる。単に、学科教育だけを学ぶのではなく、社会性や共同の力、情緒のコントロールを学ばせる授業や哲学の授業などがいぜんに比べてずっと増えてきている。オランダでは学校に限らず、外国人移民に対する手厚い社会保障もしてきた。もしも最近の移民達の生活が苦しくなっているのだとしたら、それは、経済不況を背景にしてのことで、苦しいのは移民たちだけとは限らない。オランダの若者の多くが安定した職業を得られずに苦闘している。こうして「平等を保障してきたはずなのになぜ」という思いは、為政者の中にもきっとあるはずだ。それが、フランスやドイツやデンマークやオランダなどで「移民排他」の極右派政治家の現出の背景にある。そして、伝統的な政治からは、リベラリズムの側もソーシャリズムの側も、社会を不安定にさせる極右派の勢力の増大を恐れている。極右派の増大は、ヨーロッパの安寧の基礎である欧州連合崩壊の一因となる可能性が大きいからだ。
 今回の襲撃事件のような、イスラム教移民家庭を背景にした犯人たちによるテロ行為は、結果として極右派への支持を増大させることになるだろう。そして、結果としてヨーロッパの安定を根底から振り動かすこととなるだろう。

 襲撃事件の直後から、パリ市内、そしてリヨン市内でも一般市民が集まって、テロに対する抗議の声を上げた。「私はシャルリー」という標語を手に人々は集まった。「私は、暴力でではなく、言葉で戦う」という意味だ。
 かつてフランス革命によって市民社会を実現させたフランスには、「自由」への強い思いがある。その「自由」とは、放埓で気ままな「自由」ではない。フランス国旗の3色が象徴しているのは、自由と平等と博愛、オランダ国旗も同じ3色だ。「博愛」は「同胞との団結」と言っても良い。「寛容」よりもさらに一歩進んで、深く、自分と価値観の異なる他者を受け入れる意欲のことだ。自由は、その博愛の精神と組み合わせられていない限り決して保証されるものではない。その意味で、テロ行為は、言葉だけではなく、生命を奪い取ることで、他者の存在を100%拒否する行為であり、彼らの行為は、今後、決して、人々が自由を享受できる幸福な社会へと繋がるものではない。

 銃撃の犠牲になった風刺画からの写真がテレビに映し出される。どの顔も、人間味に満ちた温かい表情だ。この人たちは、自らの身を賭して人助けのボランティアをしていたわけではないかもしれない。けれども、ユーモアを使って、対立する人々が歩み寄れること、誰にでも、笑いを通して自らを見直す人間性があることを信じていたヒューマニストたちだったと思う。

 なぜ、ヒューマニズムがこれらのテロリストたちの犠牲になるのだろう?

 もしも、テロリストたちが、グローバル化する企業文化の中で、機会を与えられずに苦境に陥っている人々の声を代表しているつもりなら、元来、風刺画たちがしてきた体制批判に対しては、共に手を取り合うべきではないか。

 良心的なイスラム教徒たちの居場所が少なくなってきている。しかし、彼らに、「なぜもっと声を上げないのか」と言いたい。「なぜ、私たちと一緒により良い人類社会のために寄与しようとしないのか、、、なぜ、お互い恨み合い傷つけ合うという行為を容認するのか」と。
 

2011年10月4日火曜日

フランスの片田舎にて

 フランスの中央山地のモン・ドールを源とし、ワインでお馴染みの、北海に面した港町ボルドーの方向に向かって蛇行しながら、ほぼ東から西に向かって流れるドルドーニュ川中流にある村。この半世紀ほどの間に、人口が3分の1くらいに減ってしまい、現在では、人口わずか230人という過疎の村だ。
 イギリス人の棟梁の下で、ポルトガル人の石工らが3人、地区160年余りの石造りの農家を改築している。家主は、オランダ人の夫と日本人の私。棟梁、石工、私たちの共通語は、もちろん現地のフランス語だが、フランス人は一人もいない。
 3人の石工は、50代の親方と彼の二人の甥、少し経験のある年嵩の甥とまだ20歳になったのだろうかと思える若い見習い工だ。ヨーロッパの建物はその土地でとれる石を積み上げて作られるのが基本だ。石工という仕事は、ここに人が住み始めて以来の古い職人業であると思われる。そして、今も、親方、職人、見習工という3段階の共同作業で、石を切り、石を積み重ねて仕事をしている。

 夫の仕事の都合で開発途上国を周り暮らしていた17年前、この村の古い農家を買いとった。当時は休暇をヨーロッパで過ごすため、、、、そして、今は、夫の退職後、自然に囲まれてゆっくり生活するためだ。

 この村があるあたりは、平地が少なく、山間の谷やなだらかな山腹を利用して、イチゴやプラム、アプリコット、メロンなどの果実、クルミ、牛の放牧など、ポリ・カルチュアの農業を伝統としてきた土地だ。狭い平地は、集約的な農業ができず、全盛期には、多くの農民が都市での仕事を求めて村を出ていった。継ぎ手のない農家も多く、そのうち、イギリスやオランダ、ドイツなど北国の人々の保養地として、村には、地元の農家と、休暇用に買い取られた家とが混在するようになった。

 1970年代の初めまで、独裁体制が続いたポルトガルからも、移民や出稼ぎ労働者がよく入ってきた。今、この辺りで石工をしている親方、その弟子たちは、ポルトガル系の移民がほとんどだ。

 欧州連合の国境がないも同然となり、通貨がユーロとなり、携帯電話一本でどの国とも交信できる。今日も、見習工のポケットに突っ込まれた携帯電話が鳴り、ポルトガルにいる母親から「元気かーい。病気しないように気をつけるんだよ。おじさんの言うこと、よく聞いてね」と大きな声で電話が入っていた。

 村長さんは、ドルドーニュ川の川沿いの小さなお城の城主夫人だ。

 村では、ほとんど毎月のように祭りや催しがある。つい先日も、村の古い教会で、フルートとアコーデオンのコンサートがあった。かつて村に生まれボルドーなどの都市に出ていった人も、退職後には、実家に戻ってくる。私たちだけではなく、ベルギー人、オランダ人、イギリス人などの家もあり、祭りや催しにも出かけてくる。

 我が家の裏に胡桃縁を持つ農家の後づぎ息子は、フランス人の女性と結婚していたが離婚、その後、イチゴの収穫のために出稼ぎ労働者としてやってきていたセネガル人と結婚した。

 インターネットがとおっているので、ポルトガルであれ、セネガルであれ、家族との交信に難はない。サテライトを取り付ければ、世界中のテレビを視聴できる。とりわけ、ヨーロッパ域内の国々の放送は、自国にいるのと同じくらい十分な数のチャンネルだ。

 逆に、これだけのチャンネルがあれば、どの国の国内ニュースにもアクセスできるし、政治討論会や選挙の様子、連続シリーズのドキュメントやドラマも視聴できる。

 フランスの、こんな山深い過疎の田舎ですらも、今やこんなに国際化が進んでいる。

2011年9月19日月曜日

反移民政策は止まるか?---デンマークの選挙結果

 イスラム移民問題で右翼化が進んでいた北欧諸国。中でも、かつて、オランダと並んで、移民に寛容で民主主義の先進国家で名高かったデンマークは、この10年間、自由保守政権に対して、政権外から国粋主義のデンマーク国民党が支持するという、非常に右寄りの政権だった。

 反イスラム意識の高まりは、数年前、モハメッド風刺画問題でも世界的な話題となった。世界でも貧富の差が小さく、開発途上国への支援も大きいことで知られるデンマーク。しかし、保守派の政権になってからは、スカンジナビア諸国内でも、経済成績が悪いことで目立っていた。ヨーロッパ連合の加盟国でありながら、今年になって、国境コントロールを強化するという政策を出し、連合諸国からの非難も浴びていたばかりだ。オランダと同じく、高福祉社会の伝統による労働者の権利の大きさや潤沢な福祉は、高齢化と年金問題、移民の圧力などで、厳しい状況にあったものと思われる。

 そんなデンマークで、今月15日、議会選挙が行われた。
 結果は、ヘレ・トーニング・シュミット女史率いる社会党が179議席中44議席を取って、社会自由党、社会人民党と共に「革新中道連合」が89議席で、現政権のラスムッセン首相率いる自由党(47議席)を中心とした「保守連合」を破り、デンマーク初の女性首相となることとなった。

 極右野党「デンマーク人民党」の協力によって、この10年間保守政治を進めてきたデンマークは、スカンジナビア地域でも、経済成績が極端に悪化し、人々の不満は高まっていたといわれる。

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 デンマークの政治は、グロバリゼーション以後の西洋諸国の右傾化の縮図でもあった。

 経済市場のグローバル化は、各国で貧富の差を拡大し、国家間の経済競争を激化させた。中国やインドの経済勢力の台頭は、それに拍車をかけてきた。そんな中で、2001年の9月11日に起きたニューヨークでのテロ事件は、ヨーロッパ地域、特に、これまで、民主化政策に積極的で、移民労働者に寛容だった国に右翼勢力支持への種をまくこととなった。デンマークの保守政権を後ろからさらに保守化させていたのは、極右の野党だ。そして、この種の野党勢力は、オランダでも、フランスでも、北欧諸国でも勢力を確実に広げ、国内では、イスラム系住民が差別され、移民政策が緊縮化された。

 この間、デンマークは着実に反ヨーロッパ色を強め、オランダやフランスは、ヨーロッパ憲法に対するリファレンダムで「ノー」という結果を出したことはよく知られている。

 しかし、そういう政治の保守化、ヨーロッパ主義から国家主義への反動は、決して経済回復には貢献していない。

 7月にノルウェーで起きた、右翼青年による大量殺人テロ事件は、この間、これまで、福祉国家として知られ、経済的にも豊かだった北欧諸国においてすら、人々の意識が著しく右翼化してきていることを伺い知らせるものだった。

 そういう意味で、デンマークでの今回の選挙結果は、これまでの右傾化の流れにブレーキをかけ、グロバリゼーションの時代の新自由主義的な政策への軌道修正が行われる兆しを感じさせる、うれしいニュースだ。

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 もっとも、ヨーロッパの現在は、実に混とんを極めている。金融危機に続く債務危機で、経済の先行きは見えず、人々は、政治リーダーに失望し始めている。どの国でも、政治エリート、官僚エリートへの不信感が高まり、大衆の不満は大きい。失業率は上昇の一途、年金受給年齢の引き上げに伴い、老後の安心も約束されない。かつて、60年~70年代に、古いエスタブリッシュメントや資本主義に抵抗して、社会民主的な社会づくりに励んだヨーロッパは、今、社会問題の原因を、移民圧力と、富める経済エリートとそれと手をつないでいると見える政治エリートとに帰し、大衆の政治離れ、不満を集める極右勢力の増大、などが、一様に見える社会となっている。

 デンマークでの選挙結果を見ても、保守連合と革新連合との力は、ほぼ均衡しており、いずれが政権をとっても政治指導は容易とは思われない。社会の分極化が進んでいるというのが現実だ。

 少なくとも、今年の初めから、アラブ諸国で、民主化運動が始まったこと、イスラム教徒と言えども、一般民衆の中からは、健全な民主化への意識が芽生え広がっていること、そういう動きが、世界に伝えられていることは喜ばしい。

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 人を、国境、民族集団、宗教集団で分け隔てる時代は終わったのではないのか。

 世界の動きは、ますます複雑に絡み合って影響しあっている。そんな中で、各国の国粋主義者たちが、国境を閉ざし、自国の利益だけを考えていても人類の文明は前進しない。世界中の市民が、世界の動きについての情報を受け止め、責任ある地球市民として行動することが求められる時代となってきている。そうしなければ、世界中の人が協働して解決のために努力すべき地球環境保全の問題に取り組むことはできない。

 いろいろな意味で、常に、市民社会の先進モデルを示してきたデンマーク。女性リーダーたちによる新政権の動きに注目したい。

 


2011年5月12日木曜日

ヨーロッパ連合の理想はどこに、、、?

 最近のヨーロッパ諸国の動きを見ていると、どうも欧州連合の理想とは逆行しているような気がする。そして、それは、各国の経済不況、ギリシャ、アイルランド、ポルトガルなどの財政破綻状況、また、アフリカ北部のアラブ諸国における民主化運動と内戦を背景に加速化していっているようだ。

もともと、1990年代の終わりごろから、旧西側ヨーロッパ諸国(ヨーロッパ連合の初期から中期にかけての加盟国)の政府が、いずれも、中道左派から中道右派へと移っていっていた。中でも、戦後から90年代の半ばまで、社会主義的な中道左派の政治力に支えられて、貧富の差が小さく、幸福度や人生に対する満足度が高い、民主的な社会制度を産んできた北欧諸国やオランダといった国々で、右派勢力が力を伸ばしてきていた。

こうした、民主制の程度が高く、高福祉だった国々で、右派勢力が広がった背景には、イスラム教徒らの移民問題があった。そして、北欧やオランダの、国粋主義者やキリスト教保守主義者たちは、イスラム教徒が、もともと西洋民主主義の仕組を理解しない、という論議の上にたって、排斥していた傾向が強い。

ところが、今年に入ってからの、アフリカ北部のアラブ諸国で始まった民衆の力による民主化運動だ。チュニジア、エジプトなどで、独裁政権を倒した民衆の力は、イスラム教が民主化を阻むものではない、ということ、イスラム教徒の社会の中でも民主化運動は起きているということを示すものだった。

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一見、イスラムは遺跡の右派勢力の議論を根底から崩して言ったかに見えるアラブ諸国の民主化運動だが、、、、、

今度は、これらアラブ諸国から内戦のために国外に流出し始めたひとびとの波が、ヨーロッパ諸国への圧力になり始めている。北ヨーロッパの国々は、日本と同じで、高齢化社会が進んでいる。労働人口の現象と高齢化のために、年金支払いその他、高福祉を賄う経済基盤が失われそうになっている。戦後、70年代のオイルショックでは停滞したものの、それから回復してからは欧州連合を基盤にヨーロッパ経済は、順調に成長してきていた。それが、高齢化で立ち止まり、世界に誇る福祉制度も曲がり角に来ている状態だ。無論、その背景には、労働力の安い中国・インドなど、新興発展国の圧力があることは言うまでもない。

そんな中で、数日前、フランスのサルコジ大統領は、欧州連合内でこれまでに廃止されてきていた国境コントロールを再開すべきだ、という議論を始め、イタリアのベルロスコーにもこれに同意を示している。また、昨日のニュースでは、デンマークが、国境コントロールを再開する、と決議したと発表した。

つまりところ、イスラム教の半民主制がどうだとか、女性差別がどうだとか、という議論は、表向きの理屈に過ぎず、欧州諸国は、どこも、財政危機と隣合わせの状況で、いったい、欧州外からの人口移動の波をどう抑えるかで悩んでいるというのが実態だ。要は、宗教や文化ではなく、経済そのものだ。

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こういう欧州連合の旧メンバー国の、内向きで排他的な保守政権の動きに対して、欧州委員会のバロッソ委員長は、国境コントロールはあくまでも必要最小限に、という態度を示した。欧州連合の理念から言って当然だ。

もともと、欧州連合の発端となった石炭・鉄鋼共同体は、経済不況や格差が元で、欧州大陸を元に勃発した二つの大戦と、そのために起きた戦災・戦死者などの惨事をうけ、今後2度とこうした、経済的にも無駄の多いは快適な事態を引き起こさないために、と作られたものだ。経済市場を開放し、自由化することで、オープンに世界に開かれたヨーロッパを作ることが目指されていた。

実際、それは、戦後65年の間に、世界の他の地域に対抗して、ひとつの大きな経済ブロックを作ることに成功したし、高い福祉を実現することにもつながった。
うう
それを今、同じく『経済的な理由」でとじてしまおうとしている。欧州連合に対する懐疑は、メンバー国(特に旧メンバー国)のどこでも勢力を増しつつある。欧州連合のメリット、そして、その背後にある平和維持への理念は、世界中の人々が情報交換をし、異文化の火トビトが、ネット上でも、また、物理的にも接触・交流を始めた、今こそ、世界の理念として広げられるべきであるのに、どうやら、ヨーロッパの人々事態が、外圧を警戒しているようだ。

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ひとつの希望は、欧州諸国の右傾化は、どの国でも、決して、満足できる多数派の支持を得ているわけではないということだ。
北欧高度福祉社会の一つのモデルだったデンマークの右傾化は、ヴェンスタという中道右派勢力と保守党の2党だけでは過半数が取れず、デンマーク人民党という、極右等の閣外支持を基盤にした政権だ。オランダの現政権も同じパターンで、自由民主党とキリスト教民主連盟(CDA)の二つでは過半数に満たないために、極右の自由党の閣外支持の約束のもとにぎりぎりで成り立っている。
とりわけ、アラブ諸国の民主化運動の理念的な背景を考慮すると、こういう極右の議論が、いつまで、人々の支持を得続けることができるのかは疑問だ。


欧州大陸部諸国の、(多くは比例代表制選挙を元にした)多党連立政権は、一方では、ほぼ完全に過半数政党による政治を封殺し、ある政党の理念を強行することが困難な仕組だが、逆に、極端な政治に走ることに対して常にブレーキをかけ続けるものだ。また、多党政治は、政党ごとの主張を明確に下着論文化を背景としており、有権者が議論に加わり、自分の責任で『選択」することを迫る。それは、人々に、政治の行方を意識させる重要な手段ともなる。

人々の議論が継続している限り、民主制度は生きている。

願わくば、そういう民主制度のあり方が、欧州を超えて、世界の他地域にも一般化されることだ。

自分のすむ土地の政治、そして、それを超えて、地域や、ひいては世界の政治には、自分の声が届いていると感じられる社会、そこにいたるまでの道はまだまだ長い。世界中の若者たちが、人生をかけて挑戦するにふさわしい、やりがいのある課題なのかもしれない。

2011年5月3日火曜日

5月5日の選挙制度改正レファレンダムを前に

 明後日5月5日、イギリスで、選挙制度改正のレファレンダムが行われる。

昨年の選挙で、史上初の「連立政権」を樹立したイギリス。しかし、連立合意の一つの重要な柱には、保守党と共に政権入りした「リブ・デム(自由民主)」党の選挙制度改正があった。

イギリスの現行選挙制度は、選挙区制。日本の制度と似ており、選挙区ごとの多数決制であるため、新しい政党、全国に支持者が散らばっている政党にとっては、大変ハンディキャップが大きい。選挙前の世論調査では相当数の支持があったリブ・デム党が、投票後に蓋を開けてみたら、意外なほどに少ない投票数であったことが、選挙の不公正さを顕にした。

最もリブ・デム党の党首クレッグは、オランダやドイツなどの「比例代表制選挙」にはあまり積極的ではないらしい。今回の制度改革案は、フランスの選挙性にもやや似ていて、各選挙区で過半数を獲得する候補者がいなかった場合には、少数獲得候補者を廃して、一人の候補者が過半数を得るまで再選挙する、というものだ。(AV)

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選挙制度は、政治家にとって投票を操作する重要な道具だ。

現行の制度で得票数の多い、つまり、現政府で支持者を得た政党の政治家は、元来、その制度を変える意欲は持たないのが当然だ。それだけに改正を求めるのは少数派であり、改正の実現は困難を極める。

だが、そういう、政治家の選挙操作があるために、政治家自身が、有権者からの信頼を失い、投票行動を低下させ、人々の政治参加意識を萎えさせて、国家社会そのものの「民主」性を麻痺させる危険も持っている。

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イギリスでの来るレファレンダムもまた、リブ・デム党の支持低下傾向の中で、実現されるのかどうか懐疑される傾向も強い。
ただ、そこで今何が議論されているのか、それは、日本の有権者も何より耳を傾けておくべきことであると思う。日本の政治家は、多分、イギリスの選挙制度が民主化されることを好まないだろうし、マスコミのジャーナリストたちの大半は、イギリス国内の改正議論など追いかけてもいないだろう。だからせめて、日本の知識人には英語の情報を読んでおくことを望みたい。政治学者だけの問題ではなく、一般知識人の教養として。

http://www.economist.com/node/18617926?story_id=18617926

2010年8月29日日曜日

フランスのロマ人強制送還問題、その後

前回、移民問題の中で触れた、最近のフランスでのロマ人強制送還問題は、どうも、ヨーロッパ連合の問題に発展しそうな気配になってきている。

ロマ人の出身地は、ルーマニアかブルガリアがほとんどだといわれる。これらの国でも、ロマ人らは、「流浪の民」として、他の市民とは一段ランクの低い人々として差別されてきた。
それが、ヨーロッパ連合の問題として特に深刻化するのは、ヨーロッパ連合の拡大に拠って、ルーマニアやブルガリアが連合に加盟してからだ。もともと流浪の民であったロマ人たちも、ヨーロッパ連合市民として、連合内の国々を自由に移動できるようになったからだ。

ヨーロッパ連合の規則によると、ロマ人に限らず、連合参加国の市民は、連合域内を自由に移動できるだけでなく、3カ月間は同じ国に無条件で滞在できる。
しかし、3カ月を過ぎると、生計をどのように立てているか、また、医療保険に入っていることが証明しなければ、滞在の延長は認められない。もちろん、犯罪など、公共の秩序を乱したり、安全や、その国の人々の健康を害する場合は強制送還される。だが、どんな場合であっても、集団で強制送還することは禁じられているし、強制送還の対象になった人は、必ずそれに抗議する権利が認めらる。

そういう規則の元で、今回のフランスでのロマ人不法居住キャンプの一掃と、彼らの強制送還は、合法的なものであったのか、いくつかの争点が明らかになってきている。

フランス側は、強制送還は、一人ひとりに300ユーロを支給し、それぞれ、「署名」をして送還を受け入れているもので、しかも、これは、ロマ人を特に対象としたものではなく、「住所不定」の人々を対象としたものである、と主張している。つまり、一定の民族グループに対する差別行為ではないし、個々の人に個別に対応しているもので、集団強制送還ではない、という主張だ。

だが、「署名」したロマ人らは、自由意思でそうしたのか、強制されていたのではないのか、、、という点が、指摘されている。「住所不定」の人、といいつつ、フランスの人々の、ロマ人への差別を容認した結果ではないのか、という問題もある。

確かに、フランスやスペインに行くとよく出くわす、いわゆる「ジプシー」たちは、移動サーカスと一緒にやってきたり、雑踏で物乞いをしていたり、見るからにみすぼらしい姿をしていることが多い。社会の、一種のアンタッチャブルの地位を余儀なくされていることは明らかだ。

しかし、ここには、もう一つ問題がある。ルーマニアやブルガリアがヨーロッパ連合に加盟した際、フランスは、これらの国の出身者たちに2014年まで、フランスでの就業を認めない、という条件をつけたというのだ。つまり、連合の規定により、ロマ人はフランスに入国はできるが、仕事はできない、という格好なのだ。だから、「生計を立てている」ことを証明せよと言っても、証明できない仕組みになっている。

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実は、ロマ人ら「流浪の民」に対しては、デンマークやドイツ、イタリアなども国体追放しているという。

先週、国連は、ジュネーブから、今回のフランスのロマ人強制一掃は、第2次世界大戦時のドイツによる迫害に相当する差別行為だとして、厳しい非難を浴びせた。しかし、今回声明を出したヨーロッパ連合の方は、フランスの事情について、
「厳しくモニターしていく。担当官らは、根本的な分析を行って報告書を出す」と、国連に比べると、やや非難のトーンが低い。
その理由は、どうやら、ロマ人問題が、決してフランスだけの問題ではないことを暗に認めているからであるものらしい。

現に、ある統計によると、ヨーロッパにいるロマ人の数は、1000万人から1200万人にも及ぶとのことで、各地に散らばりつつ、それぞれの地でマイノリティの立場にある。流浪の民は、教育、健康面、住居や仕事も、定住者に比べ、劣悪とならざるを得ない。


ヨーロッパの中には、ロマ人問題の元凶は、彼らの出身地における差別に根があるという論も多い。実際、ヨーロッパ連合では、ロマ人問題解決のための基金も設けられているし、スペインのコルドバでは、ロマ人問題対策のための連合各国の首脳会議さえ開かれている。

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連合内のある国の差別問題の火の粉が、他国に広がる。差別していた国だけを非難できない事情が、火の粉を受けた国にも起きる。連合全体の問題として、解決を迫られることになる。このプロセスが、いかにも、ヨーロッパ連合らしい解決法であると思う。

問題の根を共有し、問題解決に、連合全体で取り組む。それが、連合の目指す理想の理念へのステップとなる。

ロマ問題が、これからどんな経緯をたどっていくのか、大変興味深い。

2010年8月25日水曜日

スケープゴート化する移民と西洋民主主義への挑戦

イスラム教の女性蔑視を糾弾するドキュメンタリー映画を製作したテオ・ファン・ゴッホ氏が、イスラム教徒の移民のうちはなった銃弾に倒れたのは2004年の11月。デンマークで、モハメッド風刺画事件が起きたのは2005年だ。国際的な論争を生んだ、この事件のおかげで、イスラム教徒に対する西洋キリスト教国の批判は、マスメディアの上では一見影を潜めたかに見えた。しかし、その頃から、西洋諸国では、イスラム教徒に対する嫌悪・差別意識が、少しずつ、それも、タテマエの上ではなく、本音の部分で、徐々に人々の心の中に浸透してきているような気配がある。
もともと、キリスト教徒とイスラム教徒との軋轢の歴史は長い。ユダヤ教徒を含めれば、三者は三角関係にあるといってもいい。三つの宗教は、それぞれ、同じ神を神とする唯一神信仰出し、信仰告白(宗徒としての証明)を強く求める宗教であるだけに、互いが互いを寛容に受け入れることがことのほか困難であるようだ。

オランダでは、自由民主党の党員だったヘールト・ウィルダーズが、イスラム排斥と欧州連合会議論で、自由民主党と袂を分かち、二〇〇五年に、「ウィルダーズのグループ」として「自由党(PVV)」を結党した。イスラム教原理やイスラム社会の非民主性を糾弾して、オランダにイスラム教が広がることに強く反対し、極右であるとか、右翼であると呼ばれる。しかし、本人は折に触れて「私はムスリム(イスラム教徒」を排斥しているのではなく、イスラム教を拒絶しているのだ」と述べ、民主主義制度で支えられているオランダ社会に、言論ではなく暴力に訴える(テロリズム)イスラム教が浸透することを拒否しているのだ、という姿勢をとる。
ウィルダーズの言論は、一般には、イスラム教(およびイスラム教徒)排斥論として、極右の議論であり、人種差別だと受け止められ、イギリスからは入国を拒否されたことすらある。
そんなウィルダーズの支持者が、にもかかわらず、オランダでは、急速に増えているのだ。
政党設立の翌年二〇〇六年の第二院議員選挙では、150議席中9議席を獲得、去年のヨーロッパ議会選挙では、オランダ国内の投票数の17%を占め、今年6月には、投票数の15%以上に及ぶ、150議席中24議席、自由民主党と労働党という旧来の大政党に次ぐ第3位の地位にまで躍り出た。

オランダ国内の票が、左右両政党に分裂している中、躍進して第1党に躍り出た自由民主党が無視することのできない政治勢力になっている。イデオロギー的には、移民排斥で極右に見えるが、社会保障政策では、オランダ低所得者層の支持が多く、単純には割り切れない政党ではある。低所得者層の支持を基盤とするのは、イスラム教徒を初め、移民たちの利害と近く、パイの分け前を取り合う競争関係になるのが、オランダ人低所得者たちだからだ。

よく似た状況は、デンマークにも見られるし、フランスにも見え隠れしている。

なんにせよ、外国人の流入抑制、移民排斥の背景には、政治的イデオロギー上の議論がなんであるにせよ、背景に、経済状況があることは言うまでもない。

一つは高齢化社会の進行が、国庫財政を追い詰めていることと、もう一つは2008年のリーマンショック以来の金融危機、その後の世界経済の低迷だ。

高度成長期には、いくいく訪れることが予想されていた高齢化社会には、むしろ、若い移民の労働者を国内に迎え入れることで労働人口を増やし、税収に拠って国庫を潤すとができるという予測があったのであろう。当時は、ヨーロッパ社会全体が、植民地を手放し、人種差別反対、社会経済的な背景の異なる人々に均等な機会を与えるという社会民主主義のイデオロギーに覆われていた時代でもあった。

しかし、一方で、グローバリゼーションに拠る、世界規模での貧富の差の拡大、地球温暖化に拠って水不足や災害に合う更新開発途上国内部の食糧難とそれによって起きる紛争、さらには、中国やインドの急速な産業化によって、ヨーロッパの労働者の人件費が相対的に高くなり、これらの新興国と世界市場で競争する力が落ちてきていること、などが、今の時代の実情だ。

世界の貧困国から、食糧難と紛争を避けてヨーロッパにやってくる移民や難民たち、それにもかかわらず、言語能力や習慣の違い、また、今も存在する人種差別などの問題によって、移住先の労働者と対等な立場に立てない外国人たち。そうした外国人が、ルサンチマン(怨念)を抱えて、自分の民族の文化や宗教に拘泥し、急進化していく。ヨーロッパのように、オープンな民主主義社会の中で、彼らは、解放されない、久平に閉じこもった、非民主的な存在として孤立し、排除されがちになる。

そんな中で、最近オランダの新聞紙上で取り上げられた二つの話題は、ヨーロッパの現在の姿を具体的に示すものとして興味深い。

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デンマークの「国民党(DF)」(NRCハンデルスブラッド紙の2010年8月11日の記事参照)


 高度福祉社会で名高い北欧諸国、その中でも、貧富の格差がオランダと並んで世界で最も小さく、フィラントロピー(寄付やボランティア)にも積極的なデンマーク。
しかし、現在、デンマークは、ヨーロッパの中で最も移民・難民政策が厳しい国だといわれている。そして、その背景には、Dansk Folkeparti(デンマーク国民党、略してDF)が、国家政策に多大な影響を与えてきたからだという。

デンマークのDFは、オランダでウィルダーズが結党したPVVの立場とよく似ている。国内の低所得者層の大衆人気を支持基盤にしており、一方で移民、特にイスラム教徒の排斥を、他方で、てい所得者の機会均等のために、西洋型の民主主義に基づく自由・平等を、イスラム教にありがちな男女差別や権威主義と対比させて、強く擁護する。

DFは、ピア・キヤルスガールドという、ペンキ屋の娘で主婦だった女性らが中心となり1995年に結党された。初めはごく小さな党で、それほどの支持はなかった模様だ。1998年には、投票の7.4%を占めるのみだった。しかし、2001年9月11日の米国でのツインタワー事件が転機をもたらす。移民政策が政治議論の俎上に上り、選挙で第3党にのし上がり、保守少数派連立政権の政策を外から補強する位置につくことになった。

福祉国家デンマークの保守化の始まりだ。

以来9年間、DFは、デンマークの移民政策の強化に貢献してきている。
その具体的な内容は、①新来移民は最初の7年間完全な生活保護の受給権を持たない。②難民人口は、2001年の6412人から現在1376人に激減している、③夫または妻の自国からの呼び寄せの権利は夫婦共に24歳であること、生活保護や失業手当などの社会保障を受給していないこと、適切な住居を確保していることなどの条件が付くようになった。④4年間の継続居住後に永住権が得られる。その際犯罪の前科がないこと、過去3年間に手当を支給されていないこと、デンマーク語能力とデンマーク同化の証明があること、市民としてアクティブにデンマークへの同化を宣言していること、⑤デンマークの国籍州というには、少なくとも9年間居住していて、デンマークへの忠誠を宣言署名し、同化試験に合格していなくてはならない、などである。

ここに見られる内容は、在日韓国人、在日朝鮮人に対して、教育面での差別が横行していることを許したり、外国人の入国時に指紋登録をするような日本などから見ると、ピンと来ないかもしれない。つまり、それ以前のデンマークは、ずっとずっと移民に優しい国だった、ということなのだ。

オランダでPVVが現在やろうと主張しているのも、DFの前例に倣ったものが多い。

デンマークで、モハメッド風刺画事件が起きたのも、こうした背景の中でのことだ。

確かに、「移民排斥」と言えば、人種差別に聞こえる。
しかし、植民地支配で原住民を搾取したり、ナチ・ドイツの過去を身近に体験しているヨーロッパは、戦後、ずっと極めてセンシチブに移民受け入れを寛容に続けてきた。
それなのに、「同化しない」「西洋近代主義の自由平等の価値観を受け入れない」にもかかわらず「失業や生活保護などの社会保障費をもらって生活する」外国人らに、税金を払っている低所得者層、特に、失業者や高齢化を間近にした人たちなどが、我慢できなくなってきているのだ。

「風刺」が書かれたのは、「暴力」「テロ」と同一視されてしまっているイスラム教徒へのあてこすりだ。

当然、デンマークに生まれ育った②世代目3世代目のイスラム教徒、あるいは、イスラム教を捨てて自由主義者になった移民たちなどには、我慢がならないし、生きにくい社会になりつつある。
オランダもそれは同じだ。




国連からも非難されたフランスの対移民措置(NRCハンデルズブラッド紙2010年8月13,19日の記事を参考)


 一方、フランスでは、ロマ人ら、いわゆるジプシーの国外追放が問題になっている。

フランスにも、モロッコやアルジェリアなどの出身のイスラム系の人口は多い。パリをはじめ大都市にイスラム教人口が目立って増えてきている。植民地の独立戦争での飛散などが記憶にあるフランスでも、こうしたイスラム教系の移民には、口を閉ざし、寛容に受け入れてきた気配がある。

しかし、今回問題になっているのは、ルーマニアやブルガリアなどの、東ヨーロッパからきている「流浪の民」たちだ。

国連は、このほど、1965年の人種差別撲滅宣言に反する人種差別傾向がフランス国内で増加傾向にあるとして、忠告をした。

フランスでも、国家アイデンティティ問題が今年の初めあたりからかなり議論されているようで、サルコジ大統領は、殺人の犯罪歴があるもの、警官襲撃の犯罪歴がある、外国出身のフランス人から、フランス人のアイデンティティをはく奪すべきだ、との提案をしたという。
もちろん、国内では政治議論となり、マスコミでもサルコジは批判されている。サルコジの属するUMP内にも、きわめて批判的な意見があるという。

問題のロマ人だが、リル市周辺やロワール川流域などの、電気も水道もない空き地にテントを張って暮らすようになっているらしい。実際には、場所によっては、現地の人たちが、こうして暮らす流浪の民を気の毒に思ってか、テントを提供したり、時々やってきて食糧を与えたりしている場合もあるという。
しかし、行政管理当局とこれらロマ人たちの軋轢は、各所で起こっていたらしく、ロワール川流域にあるサン・アグナンでロマ人が警察署を襲撃したのをきっかけに、フランス政府は、ついにロマ人の不法滞在キャンプの一掃に乗り出した。2週間の間に、40か所のロマ人やジプシーなどの不法キャンプ共生一掃され、700人が国外追放となっている。サルコジに拠れば、こういう不法キャンプが、犯罪や不法売春、人身売買の巣屈になっているというのだ。

サルコジは、約300か所の不法キャンプの強制一掃を指示したとも伝えられる。8月19日の朝には、国外追放組の93人のルーマニア人が飛行機でブカレストに強制送還されたという。フランス政府は、強制送還に伴い、大人には300ユーロ、子どもには100ユーロを配給。


しかし、国連は、18人の専門家から成る国際委員会を通してフランスの実情を調査し、こうしたフランスのやり方に非難と疑問の姿勢を投げかけている。


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なにはともあれ、経済不況と高齢化社会では、移民たちがスケープゴート化しつつある。

問題は、「移民」「イスラム教徒」「ロマ人」「ジプシー」などとして、レッテルを貼られてひとくくりにしてしまうことだ。

確かに、現在、ヨーロッパの国々を旅をしていると、どこも、外国人に溢れているし、特に、南欧では、明らかに現地の人とは異なる顔立ちの人々が乞食のようにカネをせびりに来る場面も多い。
2年ほど前に、パリ南部のオルレアンの町のカフェテリアで昼食をしていた時に、カフェテリアの真ん中の長テーブルを占領して、20人余りのイスラム系の男たちが、大声をあげてアラビア語で話している姿を見たことがあった。むしろ、フランス人の若いカップルの方が、遠慮がちに、カフェテリアの隅のテーブルで、そういう様子を不快な表情で見ていた。
ジャンヌ・ダルクで有名なオルレアンの中心地の教会前を、クラクションを鳴らしながら数台の高級車が走ってきたと思ったら、それが、結婚式に駆けつけてくるイスラム教徒たちだったのにも驚いた。

外国人だからというので、「遠慮」をするのではなく、自己主張をし、わざわざ目立つ行為をする移民たちもいないわけではない。個人の自己主張の強いヨーロッパ文化の一部といえなくもないし、それによって強化された、ルサンチマンの表現であるとも言える。

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経済危機と高齢化社会は、今、ヨーロッパにおいて、真の「民主主義」とは何か、共同社会はどう維持すべきか、機会均等とは何なのかを、深刻に問いかけ始めている。