2010年8月29日日曜日

フランスのロマ人強制送還問題、その後

前回、移民問題の中で触れた、最近のフランスでのロマ人強制送還問題は、どうも、ヨーロッパ連合の問題に発展しそうな気配になってきている。

ロマ人の出身地は、ルーマニアかブルガリアがほとんどだといわれる。これらの国でも、ロマ人らは、「流浪の民」として、他の市民とは一段ランクの低い人々として差別されてきた。
それが、ヨーロッパ連合の問題として特に深刻化するのは、ヨーロッパ連合の拡大に拠って、ルーマニアやブルガリアが連合に加盟してからだ。もともと流浪の民であったロマ人たちも、ヨーロッパ連合市民として、連合内の国々を自由に移動できるようになったからだ。

ヨーロッパ連合の規則によると、ロマ人に限らず、連合参加国の市民は、連合域内を自由に移動できるだけでなく、3カ月間は同じ国に無条件で滞在できる。
しかし、3カ月を過ぎると、生計をどのように立てているか、また、医療保険に入っていることが証明しなければ、滞在の延長は認められない。もちろん、犯罪など、公共の秩序を乱したり、安全や、その国の人々の健康を害する場合は強制送還される。だが、どんな場合であっても、集団で強制送還することは禁じられているし、強制送還の対象になった人は、必ずそれに抗議する権利が認めらる。

そういう規則の元で、今回のフランスでのロマ人不法居住キャンプの一掃と、彼らの強制送還は、合法的なものであったのか、いくつかの争点が明らかになってきている。

フランス側は、強制送還は、一人ひとりに300ユーロを支給し、それぞれ、「署名」をして送還を受け入れているもので、しかも、これは、ロマ人を特に対象としたものではなく、「住所不定」の人々を対象としたものである、と主張している。つまり、一定の民族グループに対する差別行為ではないし、個々の人に個別に対応しているもので、集団強制送還ではない、という主張だ。

だが、「署名」したロマ人らは、自由意思でそうしたのか、強制されていたのではないのか、、、という点が、指摘されている。「住所不定」の人、といいつつ、フランスの人々の、ロマ人への差別を容認した結果ではないのか、という問題もある。

確かに、フランスやスペインに行くとよく出くわす、いわゆる「ジプシー」たちは、移動サーカスと一緒にやってきたり、雑踏で物乞いをしていたり、見るからにみすぼらしい姿をしていることが多い。社会の、一種のアンタッチャブルの地位を余儀なくされていることは明らかだ。

しかし、ここには、もう一つ問題がある。ルーマニアやブルガリアがヨーロッパ連合に加盟した際、フランスは、これらの国の出身者たちに2014年まで、フランスでの就業を認めない、という条件をつけたというのだ。つまり、連合の規定により、ロマ人はフランスに入国はできるが、仕事はできない、という格好なのだ。だから、「生計を立てている」ことを証明せよと言っても、証明できない仕組みになっている。

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実は、ロマ人ら「流浪の民」に対しては、デンマークやドイツ、イタリアなども国体追放しているという。

先週、国連は、ジュネーブから、今回のフランスのロマ人強制一掃は、第2次世界大戦時のドイツによる迫害に相当する差別行為だとして、厳しい非難を浴びせた。しかし、今回声明を出したヨーロッパ連合の方は、フランスの事情について、
「厳しくモニターしていく。担当官らは、根本的な分析を行って報告書を出す」と、国連に比べると、やや非難のトーンが低い。
その理由は、どうやら、ロマ人問題が、決してフランスだけの問題ではないことを暗に認めているからであるものらしい。

現に、ある統計によると、ヨーロッパにいるロマ人の数は、1000万人から1200万人にも及ぶとのことで、各地に散らばりつつ、それぞれの地でマイノリティの立場にある。流浪の民は、教育、健康面、住居や仕事も、定住者に比べ、劣悪とならざるを得ない。


ヨーロッパの中には、ロマ人問題の元凶は、彼らの出身地における差別に根があるという論も多い。実際、ヨーロッパ連合では、ロマ人問題解決のための基金も設けられているし、スペインのコルドバでは、ロマ人問題対策のための連合各国の首脳会議さえ開かれている。

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連合内のある国の差別問題の火の粉が、他国に広がる。差別していた国だけを非難できない事情が、火の粉を受けた国にも起きる。連合全体の問題として、解決を迫られることになる。このプロセスが、いかにも、ヨーロッパ連合らしい解決法であると思う。

問題の根を共有し、問題解決に、連合全体で取り組む。それが、連合の目指す理想の理念へのステップとなる。

ロマ問題が、これからどんな経緯をたどっていくのか、大変興味深い。

2010年8月25日水曜日

スケープゴート化する移民と西洋民主主義への挑戦

イスラム教の女性蔑視を糾弾するドキュメンタリー映画を製作したテオ・ファン・ゴッホ氏が、イスラム教徒の移民のうちはなった銃弾に倒れたのは2004年の11月。デンマークで、モハメッド風刺画事件が起きたのは2005年だ。国際的な論争を生んだ、この事件のおかげで、イスラム教徒に対する西洋キリスト教国の批判は、マスメディアの上では一見影を潜めたかに見えた。しかし、その頃から、西洋諸国では、イスラム教徒に対する嫌悪・差別意識が、少しずつ、それも、タテマエの上ではなく、本音の部分で、徐々に人々の心の中に浸透してきているような気配がある。
もともと、キリスト教徒とイスラム教徒との軋轢の歴史は長い。ユダヤ教徒を含めれば、三者は三角関係にあるといってもいい。三つの宗教は、それぞれ、同じ神を神とする唯一神信仰出し、信仰告白(宗徒としての証明)を強く求める宗教であるだけに、互いが互いを寛容に受け入れることがことのほか困難であるようだ。

オランダでは、自由民主党の党員だったヘールト・ウィルダーズが、イスラム排斥と欧州連合会議論で、自由民主党と袂を分かち、二〇〇五年に、「ウィルダーズのグループ」として「自由党(PVV)」を結党した。イスラム教原理やイスラム社会の非民主性を糾弾して、オランダにイスラム教が広がることに強く反対し、極右であるとか、右翼であると呼ばれる。しかし、本人は折に触れて「私はムスリム(イスラム教徒」を排斥しているのではなく、イスラム教を拒絶しているのだ」と述べ、民主主義制度で支えられているオランダ社会に、言論ではなく暴力に訴える(テロリズム)イスラム教が浸透することを拒否しているのだ、という姿勢をとる。
ウィルダーズの言論は、一般には、イスラム教(およびイスラム教徒)排斥論として、極右の議論であり、人種差別だと受け止められ、イギリスからは入国を拒否されたことすらある。
そんなウィルダーズの支持者が、にもかかわらず、オランダでは、急速に増えているのだ。
政党設立の翌年二〇〇六年の第二院議員選挙では、150議席中9議席を獲得、去年のヨーロッパ議会選挙では、オランダ国内の投票数の17%を占め、今年6月には、投票数の15%以上に及ぶ、150議席中24議席、自由民主党と労働党という旧来の大政党に次ぐ第3位の地位にまで躍り出た。

オランダ国内の票が、左右両政党に分裂している中、躍進して第1党に躍り出た自由民主党が無視することのできない政治勢力になっている。イデオロギー的には、移民排斥で極右に見えるが、社会保障政策では、オランダ低所得者層の支持が多く、単純には割り切れない政党ではある。低所得者層の支持を基盤とするのは、イスラム教徒を初め、移民たちの利害と近く、パイの分け前を取り合う競争関係になるのが、オランダ人低所得者たちだからだ。

よく似た状況は、デンマークにも見られるし、フランスにも見え隠れしている。

なんにせよ、外国人の流入抑制、移民排斥の背景には、政治的イデオロギー上の議論がなんであるにせよ、背景に、経済状況があることは言うまでもない。

一つは高齢化社会の進行が、国庫財政を追い詰めていることと、もう一つは2008年のリーマンショック以来の金融危機、その後の世界経済の低迷だ。

高度成長期には、いくいく訪れることが予想されていた高齢化社会には、むしろ、若い移民の労働者を国内に迎え入れることで労働人口を増やし、税収に拠って国庫を潤すとができるという予測があったのであろう。当時は、ヨーロッパ社会全体が、植民地を手放し、人種差別反対、社会経済的な背景の異なる人々に均等な機会を与えるという社会民主主義のイデオロギーに覆われていた時代でもあった。

しかし、一方で、グローバリゼーションに拠る、世界規模での貧富の差の拡大、地球温暖化に拠って水不足や災害に合う更新開発途上国内部の食糧難とそれによって起きる紛争、さらには、中国やインドの急速な産業化によって、ヨーロッパの労働者の人件費が相対的に高くなり、これらの新興国と世界市場で競争する力が落ちてきていること、などが、今の時代の実情だ。

世界の貧困国から、食糧難と紛争を避けてヨーロッパにやってくる移民や難民たち、それにもかかわらず、言語能力や習慣の違い、また、今も存在する人種差別などの問題によって、移住先の労働者と対等な立場に立てない外国人たち。そうした外国人が、ルサンチマン(怨念)を抱えて、自分の民族の文化や宗教に拘泥し、急進化していく。ヨーロッパのように、オープンな民主主義社会の中で、彼らは、解放されない、久平に閉じこもった、非民主的な存在として孤立し、排除されがちになる。

そんな中で、最近オランダの新聞紙上で取り上げられた二つの話題は、ヨーロッパの現在の姿を具体的に示すものとして興味深い。

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デンマークの「国民党(DF)」(NRCハンデルスブラッド紙の2010年8月11日の記事参照)


 高度福祉社会で名高い北欧諸国、その中でも、貧富の格差がオランダと並んで世界で最も小さく、フィラントロピー(寄付やボランティア)にも積極的なデンマーク。
しかし、現在、デンマークは、ヨーロッパの中で最も移民・難民政策が厳しい国だといわれている。そして、その背景には、Dansk Folkeparti(デンマーク国民党、略してDF)が、国家政策に多大な影響を与えてきたからだという。

デンマークのDFは、オランダでウィルダーズが結党したPVVの立場とよく似ている。国内の低所得者層の大衆人気を支持基盤にしており、一方で移民、特にイスラム教徒の排斥を、他方で、てい所得者の機会均等のために、西洋型の民主主義に基づく自由・平等を、イスラム教にありがちな男女差別や権威主義と対比させて、強く擁護する。

DFは、ピア・キヤルスガールドという、ペンキ屋の娘で主婦だった女性らが中心となり1995年に結党された。初めはごく小さな党で、それほどの支持はなかった模様だ。1998年には、投票の7.4%を占めるのみだった。しかし、2001年9月11日の米国でのツインタワー事件が転機をもたらす。移民政策が政治議論の俎上に上り、選挙で第3党にのし上がり、保守少数派連立政権の政策を外から補強する位置につくことになった。

福祉国家デンマークの保守化の始まりだ。

以来9年間、DFは、デンマークの移民政策の強化に貢献してきている。
その具体的な内容は、①新来移民は最初の7年間完全な生活保護の受給権を持たない。②難民人口は、2001年の6412人から現在1376人に激減している、③夫または妻の自国からの呼び寄せの権利は夫婦共に24歳であること、生活保護や失業手当などの社会保障を受給していないこと、適切な住居を確保していることなどの条件が付くようになった。④4年間の継続居住後に永住権が得られる。その際犯罪の前科がないこと、過去3年間に手当を支給されていないこと、デンマーク語能力とデンマーク同化の証明があること、市民としてアクティブにデンマークへの同化を宣言していること、⑤デンマークの国籍州というには、少なくとも9年間居住していて、デンマークへの忠誠を宣言署名し、同化試験に合格していなくてはならない、などである。

ここに見られる内容は、在日韓国人、在日朝鮮人に対して、教育面での差別が横行していることを許したり、外国人の入国時に指紋登録をするような日本などから見ると、ピンと来ないかもしれない。つまり、それ以前のデンマークは、ずっとずっと移民に優しい国だった、ということなのだ。

オランダでPVVが現在やろうと主張しているのも、DFの前例に倣ったものが多い。

デンマークで、モハメッド風刺画事件が起きたのも、こうした背景の中でのことだ。

確かに、「移民排斥」と言えば、人種差別に聞こえる。
しかし、植民地支配で原住民を搾取したり、ナチ・ドイツの過去を身近に体験しているヨーロッパは、戦後、ずっと極めてセンシチブに移民受け入れを寛容に続けてきた。
それなのに、「同化しない」「西洋近代主義の自由平等の価値観を受け入れない」にもかかわらず「失業や生活保護などの社会保障費をもらって生活する」外国人らに、税金を払っている低所得者層、特に、失業者や高齢化を間近にした人たちなどが、我慢できなくなってきているのだ。

「風刺」が書かれたのは、「暴力」「テロ」と同一視されてしまっているイスラム教徒へのあてこすりだ。

当然、デンマークに生まれ育った②世代目3世代目のイスラム教徒、あるいは、イスラム教を捨てて自由主義者になった移民たちなどには、我慢がならないし、生きにくい社会になりつつある。
オランダもそれは同じだ。




国連からも非難されたフランスの対移民措置(NRCハンデルズブラッド紙2010年8月13,19日の記事を参考)


 一方、フランスでは、ロマ人ら、いわゆるジプシーの国外追放が問題になっている。

フランスにも、モロッコやアルジェリアなどの出身のイスラム系の人口は多い。パリをはじめ大都市にイスラム教人口が目立って増えてきている。植民地の独立戦争での飛散などが記憶にあるフランスでも、こうしたイスラム教系の移民には、口を閉ざし、寛容に受け入れてきた気配がある。

しかし、今回問題になっているのは、ルーマニアやブルガリアなどの、東ヨーロッパからきている「流浪の民」たちだ。

国連は、このほど、1965年の人種差別撲滅宣言に反する人種差別傾向がフランス国内で増加傾向にあるとして、忠告をした。

フランスでも、国家アイデンティティ問題が今年の初めあたりからかなり議論されているようで、サルコジ大統領は、殺人の犯罪歴があるもの、警官襲撃の犯罪歴がある、外国出身のフランス人から、フランス人のアイデンティティをはく奪すべきだ、との提案をしたという。
もちろん、国内では政治議論となり、マスコミでもサルコジは批判されている。サルコジの属するUMP内にも、きわめて批判的な意見があるという。

問題のロマ人だが、リル市周辺やロワール川流域などの、電気も水道もない空き地にテントを張って暮らすようになっているらしい。実際には、場所によっては、現地の人たちが、こうして暮らす流浪の民を気の毒に思ってか、テントを提供したり、時々やってきて食糧を与えたりしている場合もあるという。
しかし、行政管理当局とこれらロマ人たちの軋轢は、各所で起こっていたらしく、ロワール川流域にあるサン・アグナンでロマ人が警察署を襲撃したのをきっかけに、フランス政府は、ついにロマ人の不法滞在キャンプの一掃に乗り出した。2週間の間に、40か所のロマ人やジプシーなどの不法キャンプ共生一掃され、700人が国外追放となっている。サルコジに拠れば、こういう不法キャンプが、犯罪や不法売春、人身売買の巣屈になっているというのだ。

サルコジは、約300か所の不法キャンプの強制一掃を指示したとも伝えられる。8月19日の朝には、国外追放組の93人のルーマニア人が飛行機でブカレストに強制送還されたという。フランス政府は、強制送還に伴い、大人には300ユーロ、子どもには100ユーロを配給。


しかし、国連は、18人の専門家から成る国際委員会を通してフランスの実情を調査し、こうしたフランスのやり方に非難と疑問の姿勢を投げかけている。


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なにはともあれ、経済不況と高齢化社会では、移民たちがスケープゴート化しつつある。

問題は、「移民」「イスラム教徒」「ロマ人」「ジプシー」などとして、レッテルを貼られてひとくくりにしてしまうことだ。

確かに、現在、ヨーロッパの国々を旅をしていると、どこも、外国人に溢れているし、特に、南欧では、明らかに現地の人とは異なる顔立ちの人々が乞食のようにカネをせびりに来る場面も多い。
2年ほど前に、パリ南部のオルレアンの町のカフェテリアで昼食をしていた時に、カフェテリアの真ん中の長テーブルを占領して、20人余りのイスラム系の男たちが、大声をあげてアラビア語で話している姿を見たことがあった。むしろ、フランス人の若いカップルの方が、遠慮がちに、カフェテリアの隅のテーブルで、そういう様子を不快な表情で見ていた。
ジャンヌ・ダルクで有名なオルレアンの中心地の教会前を、クラクションを鳴らしながら数台の高級車が走ってきたと思ったら、それが、結婚式に駆けつけてくるイスラム教徒たちだったのにも驚いた。

外国人だからというので、「遠慮」をするのではなく、自己主張をし、わざわざ目立つ行為をする移民たちもいないわけではない。個人の自己主張の強いヨーロッパ文化の一部といえなくもないし、それによって強化された、ルサンチマンの表現であるとも言える。

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経済危機と高齢化社会は、今、ヨーロッパにおいて、真の「民主主義」とは何か、共同社会はどう維持すべきか、機会均等とは何なのかを、深刻に問いかけ始めている。