2009年2月9日月曜日

法王に手を焼くドイツ

 ローマ法王が、かつて破門されていた超保守的な司教らの破門撤回をしたこと、中でも、ナチスによるホロコーストやガス室の存在を否定する発言をした英国人司教リチャード・ウィリアムソンの破門撤回は、一般からの政治的顰蹙だけではなく、カトリック教会内部でも激しい批判の対象となっています。

 なかでも大変な迷惑を被っているのはドイツ。戦後、ヨーロッパの真ん中にいて、周辺諸国からナチスの戦争犯罪と、ドイツ人の差別意識を糾弾され続け、嫌われ者であり続けたドイツにとって、ホロコーストの否認などありようもないことなのです。そんなことなど構いもしないかのように、ドイツ出身のローマ法王べネディクトゥス第16世は、平然とホロコーストを否定した司教の波紋を取り消したのですから。
(オランダでの反応については、私のもう一つのブログ「オランダ 人と社会と教育と」http://hollandvannaoko.blogspot.com/をご覧ください)

 そういうわけで、2月3日、メルケル独首相は、世俗の政治指導家としては異例の行為として、ローマ法王に対して、今回の事態についての公式釈明、また、ユダヤ人集団に対する積極的なかかわり方の表明を求める発言をしました。元来、教会の決定には口出しをしないはずの首相、また、通常周囲の様子を確かめるまでは明らかな立場を示さないことで知られる同首相が、敢えて、こういう発言をするにあたっては、ドイツが、戦後ヨーロッパの中で、ずっとくびきをかけられるように引きずってきた過去の過ち、また、それに対する態度を、周辺の国々が見つめているから、と言えます。

 1974年、私ははじめてヨーロッパを訪れました。イギリスの語学研修先には、ヨーロッパ各国からの研修生が来ていました。その中で知り合ったスイス人の研修生は、私たちが「今回はドイツを訪問できなくて残念だ」というと、憤然とした顔をして、「何でドイツなどに行く必要があるのだ、あれは、ナチスの国、戦争犯罪者たちの国ではないか」と一蹴しました。

 1980年代になってオランダ人の夫と結婚してからも、オランダ人のドイツ人嫌いには事あるごとに出会いました。特に、夫の実家は、オランダの東部でドイツの国境に近いこともあり、国境を越えてドイツ人が買い物に来たりするのをよく見かける町でしたが、なんと、戦争から35年以上も経っていたというのに、その当時でも、ドイツのナンバープレートの自動車が来ると、石を投げつけるような人がいたのです。

 そのくせ、ドイツはドイツで、そういう周辺諸国の批判の的にさらされ続けることに、もういい加減にしてくれ、とうんざりすることもあったのかもしれません。
 「ドイツ人が日本人客を見たらどんな冗談を言うか知っているかい。今度戦争をする時には、イタリア人を抜きにして、ドイツと日本だけでやろう、っていうのさ」
というような話が聞こえてきたりしたものです。

 最近、60年代の終わりの学生運動についてのテレビ番組があっていましたが、その中で、「ドイツのあの当時の学生運動は、それまで、ナチスの戦争犯罪の生産をさせられ続けてきたドイツが、西側の資本主義を批判することで、社会問題を自国の過去に追及するだけではなく、問題を「国際化」することに意義があったのだ」という分析をしているコメントがありました。目を開かされる分析だったと思います。

 実際、ドイツの若者たちの間でネオナチの運動が起きていたのも、あの頃だったと思います。

 事実、ヨーロッパにおけるユダヤ人迫害の感情は、ドイツに限ったことではありませんでした。もともと、国境を越え、ダイヤモンド商人などとして商売をしながら移動するユダヤ人に対して、キリスト教者たちは、もともと不信の感情を抱いていたのです。だから、オランダでもフランスでも、ドイツ軍が攻めてきて、ユダヤ人狩りを始めた時、ナチス親派たちが、協力してユダヤ人の隠れ家を密告したことは周知の事実です。戦後、ナチスの生き残りを匿う国は周囲にありましたし、スウェーデンなども、ナチスにはあまり強い批判をしてこなかったといわれています。

 それだけに、ドイツ人にしてみれば、戦後すべてが清算され、敗戦国となった暁に、自国だけが糾弾されることに悔しさを感じている人も少なくなかったはずです。そういう感情が、また、ドイツ人自身を国粋主義に反動させていくという危険もあったはずです。だからこそ、ドイツという国は、公的な場面では、常に、差別の撤廃、特にユダヤ人との関係の公正化を顕示してこなくてはならなかったのです。

 ドイツでは、ホロコースト否認の発言は処罰の対象になります。

 そんな中で、事もあろうに、ドイツ出身のローマ法王が、意図があってのことなのか、あるいは、世界の動きを察知せずに他愛もなく取った行為なのか、は定かでありませんが、ホロコーストを否認した司教を破門から解いたというのですから、ドイツにしてみれば、これまでの努力を水の泡にしてしまう、なんと非常識なローマ法王であろうか、という風に思ったとしても無理はありません。

 現に、こんな他愛もない行為を平然とやってしまう人が、世界に何百万人といるカトリック信者の教会の頂点に立っているということだけでも、多極化の今の時代、ぞっとする事実です。

 ドイツ国内では、今回のメルケル首相の発言に対し、ユダヤ人たちはもとより、カトリック教会の信者たちも、大変歓迎の意思を表明しているとのことです。今更、ドイツ人ローマ法王の過ちで、またしても、ヨーロッパの中で「針のむしろ」に座らせられるのは、とんでもない、、ということでしょう。そんな話を蒸し返して、反動的な勢力に勢いをつけないでほしい、という気持ちもあるでしょう。ドイツは、イスラム系住民の多い国です。経済不況で、ヨーロッパの国々は、どこも、人々が内向きになり、自分たちのとるパイをどう確保するかで必死になっている今、ローマ法王の反動的な行為は、どんな社会的な影響をもつか計り知れないのです。

 ドイツは、ナチスの問題だけでなく、ベルリンの壁が崩壊するまで共産圏にあった旧東ドイツの秘密警察(Stasi)による人権問題も抱えています。(これについては、Das Leben der anderenという映画がお勧めです。日本名「善き人のためのソナタ」)
 人権意識というのは、日本社会を見てもわかりますが、一朝一夕になるものではありません。ですから、言うまでもなく、ドイツだけの問題ではないのですが、ドイツが孤立すればするほど、ドイツ国内には、国粋主義や宗教を媒介に、反人権的な、差別意識が復活する可能性はまだ残っている。そういう意味で、ドイツは、ヨーロッパの中で、やはり大変特殊な国であると思います。

 さて、こう考えてくると、どうも日本が気になります。
 戦争の過去の清算がいまだに曖昧です。一般市民の口でならともかくのこと、首相級の政治家が、戦時中の日本軍の行為を否定するような発言を何度となく繰り返し、何度となく隣国の顰蹙を買っているにもかかわらず、またぞろ、平然と蒸し返されてくるのですから。
 しかも、今の不況は、日本人をますます内向きにし、諸外国のことは「見たくない」、諸外国からは「批判などされたくない」と、国旗を揚げ国歌を歌って国粋主義を鼓舞するだけで、未来に展望を与えない政治家と行政官ばかりなのですから。