2009年11月20日金曜日

EU大統領にベルギーの首相ファン・ロンパウ氏が決まる

 11月19日晩、議長当番国スウェーデンの首相を議長として、ブリュッセルで開かれていたヨーロッパ連合(EU)の臨時首脳会議において、EU最初の大統領職にベルギーの現首相で、ヘルマン・ファンロンパウ氏が就任することに決まった。また、EUの外交・安全保障政策を対外的に代表する外装職には、イギリスのキャサリン・アシュトン氏が就任することになった。
 ファンロンパウ氏は、ベルギー内のフラマン(オランダ語)系で、中道右派のキリスト教民主党の政治家。哲学と経済学を学び、政治家ファミリーの出身でもある。これに対して、キャサリン・アシュトン氏は、中道左派の労働党出身。いずれも、対外的には必ずしもよく知られた政治家ではない。特に、アシュトン氏は、外交経験もなく、ヨーロッパ委員(通商担当)経験がわずか13カ月という新顔で、EUの顔となる二つの重職の最初の就任者が、いずれも、カリスマ性の未知な地味な政治家であったことに対しては、賛否両論が交わされている。

中道右派勢力に阻止されたブレア候補

 今回の初めてのEU大統領とEU外相選出については、事前に様々な予測が飛び交うこととなった。
 元より、27カ国もの加盟国を持つEUは、すでに、アメリカ合衆国やロシア、中国などの大国に対して、世界の一大勢力をなすものとして、対外的な統一性の必要が求められていた。ヨーロッパ憲法の設置は、今回の『大統領』『外相』選出と同様に、そのような文脈の中から生まれてきたものだ。
 しかしながら、「多様の中の統一」を目指す、民主的なEUの在り方は、各国の意向を無理なく生かす形の「統一」をどう生み出し維持していくか、という点で、常に緊張をはらんでいる。
 今回のEU大統領についても、EU内で、人口規模が大きく最も勢力が強いとみられるフランスやドイツからの選出は、ほとんど予測されないものだった。

 そんな中で早くから有力候補と見られていたのは、イギリスのブラウン首相が推薦する、元首相トニー・ブレア氏だった。しかし、今年6月のEU議会選挙の結果でも明らかなように、現在のEU議会の主要勢力は、中道右派に移っている。労働党の党首だったブレア氏の候補対しては、フランス、ドイツをはじめ、支持がほとんど得られなかった。その間、ずっと候補者として名前が挙がっていたのが、ベルギーのファンロンパウ首相だった。彼もまた、キリスト教民主党という、中道右派の政治家であるからだ。
 木曜日の朝までは、選出は深夜にまでもつれ込み、翌朝までかかることだろう、との消息筋の見方を覆して、意外なまでに早くあっさりと決まったのは、ブラウン首相の、ブレア推薦撤回であったといわれる。ブラウン首相は、中道右派勢力が圧倒するEUの首脳会議を前に、ブレア就任の可能性がないことを読み取り、撤回に踏み切ったといわれる。さらに、EU内で同じく大きな勢力を持つ社会主義派が、この時点で、外層候補にイギリスからの社会主義派の候補者を支持することで一致団結したと伝えられる。

EU重職への女性進出を求める声

 それが、意外にも、ほとんど知名度のないキャサリン・アシュトン氏の外相就任に結果した。EUの重職についている女性が少ないことに対する指摘、女性の住職就任を求める声が大きかったことが、アシュトン氏の就任を後押しした。もっとも、政治家としては、あまり経験が豊富でなく、ましてや、外交経験のほとんどないアシュトン氏の外交能力については全く未知で、批判や不安の声も皆無ではない。

 アメリカ合衆国では、オバマ政権下で、ヒラリー・クリントンが外相を務める。アシュトン氏は、対米的には、クリントン外相のパートナーになる。また、米国の外交・安全保障政策に対して、アシュトン氏は、中近東やアフガニスタン、また、中国をはじめとするアジア諸国に対しても、ヨーロッパを代表する外交任務を果たしていくことになる。果たして、クリントンの米国外交政策に対して、どのようなEU外交を展開することになるか、非常に興味深い。


多様性の統一を示す顔

 フラマン(オランダ語系)出身のベルギー人、ファンロンパウ氏は、EU大統領の就任が決まった直後のスピーチを、英語・フランス語・オランダ語の3カ国語で行った。その中で、「統一が私たちの力であるとともに、多様性は私たちの豊かさであり続ける」と述べた。
 実に、ヨーロッパの豊かさは多様性にある。そのことは、EU発端となった「ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体」の時代から、ずっと維持されてきた考え方だ。そして、それは、単刀直入に言えば、マイノリティ(少数者)を無視しない、お互いが、マイノリティ同士でありながら、それを互いに尊重していくことによって作り上げる共同体である、ということだ。

 その意味で、言語圏対立を続けながらも、EUのベースブリュッセルを保ち続けている小国ベルギーから、最初の大統領が選出されたことは、最も妥当な結果であったといえよう。

 オバマ大統領からは、さっそく、ヨーロッパは米国にとって「ますます強いパートナーになる」という歓迎のメッセージが伝えられたという。
 ヨーロッパが、対米対立的な政策をとるのではなく、米国がこれまで維持してきた世界覇権に対して、建設的な批判的立場を提示し、世界のマイノリティを尊重した、世界規模での平和に貢献するためのモデル策を提示していく限り、ヨーロッパが持つ世界における指導的位置は、健全であり続けると思う。

 
 

2009年6月23日火曜日

ヨーロッパ議会に新中道右派政党?

 2週間前に行われたヨーロッパ議会選挙は、各国のキリスト教民主系の政党が集まるEPPの勝利が目立つほか、どのヨーロッパ政党にも属さない、独立あるいはその他とされる議員の当選が多かったことも目立っていた。

 そんな中で、昨日のニュースによると、イギリスの保守派当選議員のイニシアチブで、ヨーロッパ議会の中に、中道右派の政党(European Conservatives and Reformists group)を作るという動きが活発化してきている。すでに、他国の当選議員たちとの交渉も始まっており、それによると、イギリスの保守派議員26人に加え、ポーランドの15人、チェコ共和国の9人のほか、ラトヴィア、フィンランド、ハンガリー、ベルギー、オランダの議員参加の可能性もあり、8カ国の議員らを集め第4位の政党になる可能性が出てきている。ヨーロッパ議会の規則では、最低7カ国からなる25人の議員が必要とのことなので、新政党結成の公算は非常に大きい。

 さて、新政党の立場はどこか、というと、すでに、10原則の政党綱領をあげているが、一言でいえば、ユーロ・リアリズム、欧州連合の参加国の個々の統合的な自治を尊重し、欧州連邦主義に反対するというものだ。わかりやすく言えば、欧州連合を各国の動きに優先するのでなく、各国の自治体制をより優先的に、ということらしい。

 挙げられている10カ条の原則には、欧州規則の削減、減税、個人の自由の重視、社会の基礎としての家族の尊重、持続可能なクリーンエネルギー推進、などの典型的な自由主義派の政策に加え、効果的な外国人の入国管理といった、対移民政策が見えるあたりにやや強い保守傾向がみられる。
 欧州の官僚主義を嫌い欧州基金の透明性を求めるといったあたりは、新自由主義的な「小さい政府」を思わせる。いずれにしても、欧州レベルでの管理を嫌って、各国の自治を求めている点が、最も売りではないかと思う。

 かつて、欧州憲法に対するレファレンダムが行われたときに、フランスやオランダなど、欧州連合に設立当初からかかわってきた国で、反対票が多かったことが話題となった。
 欧州連合が拡大を続ける中で、政治の行方が自分たちの手の届かないところで決まっていくという民衆の感情はどの国にも強まってきている。
 高齢化社会と移民の流入によって将来への社会不安が高まる中、トルコ加入問題も常に議論の的になっている。イスラム教徒住民が多いトルコが加入すれば、キリスト教の伝統を持つ欧州各国のアイデンティティはどうなるのか、という感情論もしばしば耳にする。

 そんな中で、今回の選挙で増えていた、無所属や少数政党を代表する「その他」のカテゴリー議員たちは、どちらかというとヨーロッパ連合の拡大と集権化に懐疑的な議員たちだった。

 それが、今回政党結成によってまとまっていくという。非常に興味ある動きだ。
 もしかすると、既存のヨーロッパ政党の中から分離して、新政党に参加するという政党が出てくる可能性もなくはない。

 オランダに関して言えば、「極右」にも近いウィルダーズ率いるPVVが多数得票して欧州議会に5議席を送ることが注目された。ヨーロッパ懐疑派の中でも最も右寄りであるはずだ。
 今回の新政党の動きには、PVVの参加の見通しはないようだ。PVVと同様に、移民対策には注意深い政党となりそうだが、PVVが繰り返す差別的なイスラム教批判はしていない。
 新政党の結成は、PVVにとっても、勢力の低下のきっかけになるかもしれない。現在の(オランダの)移民対策に不満だった人々の票が集まっていた可能性があるからだ。

 地方分権的な、参加国のアイデンティティ保存の上にたつヨーロッパ連合のあり方について、細かい点での違いを代表する政党が生まれる可能性が出てきたのは、今後のヨーロッパ連合の議論をよりダイナミックにするもので、それだけでも非常に興味深い。


2009年6月9日火曜日

EU議会選挙速報

 昨日曜日、5年ぶりのEU議会選挙の結果が開票発表された。
 すでに水曜日に行われ開票済みだったオランダの結果は、ヨーロッパ全体の政治の風向きをよく象徴しているものだったようだった。
 以下、今回の選挙結果の注目点だ。

1.どの国でも軒並み労働党をはじめとする、クラシックな社会主義政党が大きく敗退した。
2.いずれの国でも、(時として保守傾向が表に出てくる)キリスト教民主主義、(市場原理派の)自由主義政党が躍進した。
3.グリーン勢力が拡大された。
4.ヨーロッパ懐疑派の、無所属議席や独立議席が前回に比べるとかなり増えた。

 一般に今回の選挙では、親ヨーロッパ連合派と反ヨーロッパ連合(国粋主義派)の分極が目立っていた。いずれかに黒白の決着を求めるような投票行動が目立った。

 その一方で、フランスのサルコジ、イタリアのベルロスコーになど、保守からリベラルが優勢となった。これはある意味では、経済不況期には典型的な政治行動といえるかもしれない。福祉を拡大し大きな政府を求める社会主義派にとって、今の経済環境はあまり望ましい状態ではないからだ。

 しかし、全体として、今回の選挙の投票率は、43%にとどまり、前回をさらに下回っている。1989年以来、ずっと投票率は下降の一途をたどってきた。

 ヨーロッパ議会、EUに対する関心の低さは、今回また顕著となった。そんな中で、国粋主義派らが、無所属とはいえ、各国で票を伸ばしているのは、あまり気持ちの良い傾向とはいえない。

 第2次世界大戦直後の、ヨーロッパの政治エリートらの理想主義は、そろそろ薄れ去ってきているのかもしれない。
 しかし、その一方で、国際協調は不可欠の世界情勢になってきていることも事実だ。保守系・自由主義者の先導するヨーロッパは、今後どういう動向をたどるのか、目を離せない。

2009年6月5日金曜日

おしらせ

EU議会選挙の先頭を切ったオランダの開票結果については、こちらをご覧ください。

2009年6月2日火曜日

パンテオン考

 初夏のパリ、新緑のカルチェ・ラタンを歩く。
 
 セーヌの流れに沿って、左側を「左岸」とかカルチェラタンと呼ぶ。
 昔から、学生の町、知識人の町だった。右岸の華やかさとは異なり、渋さと反骨、反体制の文化が見える街区だ。

 パリはこれまでにも何度か訪れたが、そのたびに、なぜか、観光客の多い忙しいパリに長くいる気がせず、バタバタと駆け足で過ぎ去ることが多かった。
 今回は、たまたま丸2日間、パリで過ごす時間があり、これまであまり足を踏み入れなかった左岸をゆっくり歩いてみた。

 左岸の象徴は、何といってもパンテオンだろう。不思議な建物だと思う。教会として作られたのに、フランス革命の後、人権宣言とそれをもたらした啓蒙思想家や近代科学の担い手らを祀った、いわば、「人権」の象徴、「近代法」の祀り所、シンボルとしての建物だからだ。
 同時に、それは、カトリック信仰に基づく中央集権的な伝統と、フランス革命を起こした人権擁護の伝統という、二つの、ジレンマと緊張を抱えたフランスという国そのものを、体現した建物であると言っていいすぎではないと思う。

 入場料を支払い、本堂に進む。
 真ん中に、高い天井からフーコーの振り子が下げられ、やむことなく、ゆっくりと振り子が触れ続けている。振子を見守るように、百科辞書主義のディドロの像がある。

 真正面の、教会ならば祭壇のある場所には、人権宣言を象徴する彫像があり、石には「自由に生きる、さもなくば死するのみ(Vivre libre, ou mourir)」と刻まれている。大きな荘厳の建物の中で、ゆっくりと揺れ続けるフーコーの振り子に、まるで、催眠術にかけられるようなずしりとした印象を受けた訪問者に、この言葉は、あたかも、天からの啓示のように深く心に響く。

 その両脇の階段から地下に降りると、人権擁護のフランス啓蒙主義を象徴する英雄たちと、以来ずっと擁護されてきた科学研究の発展に貢献した科学者、政治家らの埋葬室に至る。

 その日、私は、ヴォルテールのことをずっと考えていた。
「私はあなたの意見には反対だ、だが、あなたが発言する権利は、命をかけても守る」といったといわれているのがヴォルテールだ。

 思いがけず、パンテオンの地下室に足を踏み入れ、いきなり、ヴォルテールの墓に出会った時には、心の準備がなかっただけに、言いようのないほどの感動で心が揺さぶられた。ヴォルテールの墓の真正面には、同じ年に亡くなったもう一人の啓蒙主義者ジャン・ジャック・ルソーの墓がある。地下埋葬所の中で、ライバルだったこの二人の墓は、それでも、何か、革命を起こしたフランス人の誇りを示しているかのように、特別な地位にある。

 マリー・キュリー夫人の墓には、ポーランド語のメッセージが書かれた花束が添えられていた。
 ソルボンヌ大学を出て、ポロニウムとラジウムという放射性元素を発見してノーベル物理学賞を取ったというキュリー夫人。今、生きていて、核戦争の危機と核処理に悩むこの世界を見たら、彼女は何といっただろう、、、

 パルテノンには、他の観光名所の例に漏れず、パンフレットや土産物を売る売店がある。売店で売られているものの多くは、ヴォルテールやルソーの哲学書、そして、人権宣言にまつわるものだ。人権宣言17カ条を書いたポスターなどもある。

 神社にいく者がお守りを買い、カトリック教会の寺院を訪ねるものが十字架やロザリオを買うように、パルテノンの訪問者たちは、人権宣言のポスターを買うのか、と思うと、ふと、幽かなおかしみがこみ上げてくる。

 パルテノン正面の階段を降り、はるかかなたにエッフェル塔を望みながら、リュクサンブール公園に向かってなだらかな坂道を降りはじめると、すぐに気付くのが、右手にある大学法学部の建物だ。快晴の日の午後、初夏のさわやかさに軽やかに闊歩していく通行人を相手に、法学部の門の前で、葉書大の赤いパンフレットを配っている学生らが数人いた。欧州議会選挙に向けて、左翼連合のキャンペーンをしていた。

 法学部の建物のある側の歩道に沿って、カフェやブラッセリ(軽食堂)と本屋が並ぶ。本屋のショウウィンドウに並ぶ本には、ほとんど「法(droit)」の文字が並ぶ。法学部に続く道路に並んでいるのは、法学関係専門の書籍店ばかりだった。

 そこで、あることにハッと気づいた。
 フランス語の「法」という語は、実は「権利」という語に他ならない。どちらも、同じ、Droitだ。
 英語で言うなら、rightに当たる言葉だ。「右」「まっすぐ」という意味を、フランス語も持っている。けれども、フランス語では、「法学部」という時に、英語のように、Faculty of Lawとは言わず、Faculte de Droitという。つまり、フランスの法学部は、直裁に言えば「権利の学問を学ぶところ」なのだ。
 思えば、オランダ語もそうだ。オランダでも法学部は、Faculteit van rechten(権利)であり、法律を意味するwet(ten)という語は使わない。

 法律は人の権利を守るためのものだ、ということか。
 「自由に生きる、さもなくば死するのみ」
 「自由」という語が、重く重く響く。

 なぜ、そういう単純なことに今まで気づかなかったのだろう、と思った。

 法学とは、権利の学問なのだ。
 権利の議論は、人間の尊厳を奪う権力者から、自由を獲得した、一般市民のために生まれた。

 「人権宣言」の最初の3条が、ずしりと心に響く。


第1条(自由・権利の平等)

人は、自由、かつ、権利において平等なものとして生まれ、生存する。社会的差別は、共同の利益に基づくものでなければ、設けられない。

 

第2条(政治的結合の目的と権利の種類)

すべての政治的結合の目的は、人の、時効によって消滅することのない自然的な諸権利の保全にある。これらの諸権利とは、自由、所有、安全および圧制への抵抗である。

 

第3条(国民主権)

すべての主権の淵源(えんげん=みなもと)は、本質的に国民にある。いかなる団体も、いかなる個人も、国民から明示的に発しない権威を行使することはできない。



 フランスは、不思議な国だ。
 権威を否定する国でありながら、非常に中央集権的で、トップダウンの管理が好きな国だからだ。日本に似ていなくもない。
 だが、この国には、神社ではなく、「自由と権利」を象徴するパンテオンがある。法学を学ぶ学生らは、「権利」を学んでいると思っている。そして、その権利の源は、人権宣言だ。この違いは大きいと思う。











2009年5月22日金曜日

ヨーロッパ議会選挙ちかづく

 来月早々、ヨーロッパ連合加盟国27カ国では、ヨーロッパ議会の議員選挙が行われます。5年に一回の選挙です。
 785の議席に対して、各国で、人口数に比例した議員の数だけ、その国の候補者の中から国民の直接選挙で選ばれます。
 ちなみに、大国であるドイツからは99人、フランスからは72人、オランダからは25人の議員が選ばれます。
 興味深いのは、各国からの政党代表者は、ヨーロッパ議会では、8つに分かれた政党グループに分かれることです。オランダの場合、国内政治では、別の政党である自由民主党(VVD)と民主66党(D66)は、ヨーロッパでは、ALDEという、自由民主政党に共に入ります。また、オランダの「キリスト教民主連盟(CDA)」は、オランダでは、現在労働党とともに政権を握っており、どちらかというと左よりの姿勢が今のところ主流といえますが、これは、イタリアでは、かなり保守的であるとみられているベルロスコーニの政党フォルザ・イタリアと協働することになります。
 ヨーロッパのレベルでは、7政党と無所属独立の8つのグループに分かれることになりますが、国によっては、8つの政党がない場合もあるし、イギリスのように、二党政のところもあります。
 ですから、選挙民にとっても、投票の際に、国内政治とは、ちょっと異なる観点を持ち、ヨーロッパレベルでの議題などを考慮して、やや異なる判断基準を持たねばならないことになります。

 面白いのは、国内では、反ヨーロッパ連合の勢力も、ヨーロッパ議会に参加しないわけにはいかない、という点です。たとえば、オランダで、移民排斥の議論をして支持を集めている、ウィルダーズの自由党、フランスのル・パンの極右政党などなどです。こうした政党は、一般に、移民排斥とともに、ヨーロッパ連合にも懐疑的であるのですが、ヨーロッパ議会に参加しないで、議論の外にいるわけにはいかない。

 オランダでは、六月四日に選挙があり、七日までにほとんどの参加国が選挙を終えるはずです。

2009年4月9日木曜日

ヨーロッパの保護主義とオバマの理想

 先月末から今月の初めにかけて、大きな国際会議が次々に開かれた。
 皮切りは、私の自宅から徒歩数分のところで開かれた、アフガニスタン和平閣僚会議だ。ヒラリー・クリントンの提唱からわずか2週間半で、オランダは、この会議のホスト国として、会場を用意した。会議の目的は、アフガニスタンの和平を世界中の国家が協力して推進すること。その中で、これまで、一方的に西側が敵視してきたタリバンの穏健派との対話や、また、何よりも、イランからの代表者が、アメリカの招きでこの会議に参加したことで、氷結していたアメリカとイランの間の関係に氷塊が見られたことが、特に注目に値する。

 その翌々日、今度は、ロンドンで、経済危機対策を話し合うためのG20会議が開かれた。基調は「保護主義」の抑制による、国際協調にもとづく回復策への努力ということだった。しかし、これを呼び掛けたのが、アメリカのオバマ大統領であったことが目立つ。これまで多元主義、協調を基調路線に外交を進め地域を拡大してきていたのはヨーロッパ連合のほうだ。しかし、このヨーロッパ連合の最初のメンバーの一つであるフランスでは、このところ、サルコジ大統領の保護主義的な動きが周囲から非難を受けている。

 サルコジは、フランス国内の雇用創出のために、ルノー自動車など、元東欧諸国だった地域にあった工場の閉鎖を認めた。これについては、EU委員会からも非難を受けた。しかし、フランスは、失業率も地域内では低くない。移民問題も絶えない。また、特に、ポーランドなどの元東欧諸国が加入したのち、同じ農業国として、人件費がまだ安い東欧諸国を相手に、国内農業部門の競争力が落ちる一方、国の補助金がかかっている分、生産物の価格も下げられず、出口のない状態が続いている。

 多元主義が、本来、各国の自律的な経済政策、また国内政治を認めるものであれば、こうした保護主義と、世界の自由市場開放との間には、原理的に緊張関係があるのは当然だ。その間の関係をどう処理していくべきなのか。EUの中に、旧メンバー国と新メンバー国との間の、目に見えない緊張がある。EUの理想の実現は、まだまだ手の届かないものなのかもしれない。金融危機は、EUの努力を後ずさりさせるものであるかもしれない。アメリカにしても、ヨーロッパ市場は確保しておきたいのにちがいない。欧米両者が、これから、どう折り合いをつけていくのかが興味深い。

 G20に続いて、ストラスブルグで、今度は、北大西洋条約(NATO)会議が開かれた。
 NATOは、日米安保条約と同じで、もともと、第2次世界大戦後、共産圏を仮想敵国とみなす冷戦状態の中で、西側欧米諸国の防衛のために作られたものだ。しかし、現在では、アフガニスタン再建など、平和維持としての役割を受け持つようになってきている。ロシアのNATO参画すらも議論されるほど、元の目的は形を変えてきている。
 そんな中、オバマ大統領は、NATOの意義を根本的に変革し、「核抜きの世界をつくる」と呼びかけ、ヨーロッパは、トルコを一日も早くEUに加えるべきだ、との見解も明らかにした。
 だが、同じ会議で、NATOの新議長には、トルコが反対しているにもかかわらず、デンマークのラスムセンが就任することをヨーロッパ諸国は決めた。
 トルコの反対の理由は、かつて、イスラム教に対する風刺画事件で問題を起こしたデンマークに対して、イスラム教国からの反発が起きるとの警戒からだった。

 これまた、EUの矛盾を感じさせる一幕だ。危機が訪れると人々は防衛的になる。
 トルコ問題は、人々の意識の中に、キリスト教社会とイスラム教社会の対立があることを、再び思い起こさせる。イスラエル問題が未決のままであることが、今後も出口の見えないまま、EUと世界に波及し続けるような気がする。

 EUの理想は、平和維持、多元主義の協調的民主主義を広げることにあったはずだ。
 そして、昨年までのブッシュ率いる米国は、確かにこういう協調主義とは相いれない好戦的な大国主義のアメリカだった。

 しかし、グロバリゼーションによる、無統制の市場主義が生んだ格差社会と、人間の尊厳を切り捨てる競争社会の結果、世界は、限りなく、分極化を続けた。そして、この分極化の過程で、ヨーロッパは、試されながらも、「協調」を旗印に、拡大を続けてきた。だが、それはまた、大西洋を越えた、大国アメリカを意識した、ヨーロッパという地域経済ブロックの強化でもあった。

 アメリカが、オバマ大統領を生み、彼のリーダーシップに期待をかけ、ヨーロッパの十八番だった多元主義と協調による世界づくりへと動き出したとき、ヨーロッパは、むしろ、その弱さを顕わにし始めたように見える。オバマといえども、米国経済の回復は、最も大きな課題であり、その目的あっての協調姿勢だ。

しかし、対話が続いていく限り、また、一般市民の連帯感と議論への参加が続いていく限り、流れは自然淘汰的に、人々の意思を反映しないわけにはいかない。市民の、時事情報への関心と、議論への参加、それを反映するマスメィアの力が、今こそ問われている。


 気になるのは、こういう動きに背を向けて、ただただ、北朝鮮のテポドン問題に終始する日本のマス・メディアだ。日本の政治家たちは、いったい英語で発信されている世界の時事情報に、どれだけ通じていてくれているのだろう。日本人は、欧米のこういう動きに、何らかの意見を持ち議論に参加していなくていいのだろうか。メディアは、そのための材料を十分に提供できているのだろうか。

 オバマの政治は、単なる絵に描いた餅、「理想」にすぎないと、識者はいうかもしれない。実際の取引は、タテマエの理想の後ろにあるのだ、と。

 だが、民主政治とは、たとえ、政治家の思惑が、「理想」の言質に隠されていたとしても、その「理想」をタテマエに終わらせないために作られた装置だ。オバマの言行を一致させるかどうかは、ヨーロッパをはじめ、世界の他の国々が、対話に加わり、彼の言行一致を追及していくかどうかにかかっている。それに、ヨーロッパもアメリカも、新聞紙上では、意識ある知識人らが、どれだけ偽善を排して、論理的な説得力を持てるかということで鎬を削っている。日本にそれだけの力のある政治的リーダー、また、マスメディアの責任者が、絶対数としてどれほどいるのだろう、と少し気になる。


2009年2月9日月曜日

法王に手を焼くドイツ

 ローマ法王が、かつて破門されていた超保守的な司教らの破門撤回をしたこと、中でも、ナチスによるホロコーストやガス室の存在を否定する発言をした英国人司教リチャード・ウィリアムソンの破門撤回は、一般からの政治的顰蹙だけではなく、カトリック教会内部でも激しい批判の対象となっています。

 なかでも大変な迷惑を被っているのはドイツ。戦後、ヨーロッパの真ん中にいて、周辺諸国からナチスの戦争犯罪と、ドイツ人の差別意識を糾弾され続け、嫌われ者であり続けたドイツにとって、ホロコーストの否認などありようもないことなのです。そんなことなど構いもしないかのように、ドイツ出身のローマ法王べネディクトゥス第16世は、平然とホロコーストを否定した司教の波紋を取り消したのですから。
(オランダでの反応については、私のもう一つのブログ「オランダ 人と社会と教育と」http://hollandvannaoko.blogspot.com/をご覧ください)

 そういうわけで、2月3日、メルケル独首相は、世俗の政治指導家としては異例の行為として、ローマ法王に対して、今回の事態についての公式釈明、また、ユダヤ人集団に対する積極的なかかわり方の表明を求める発言をしました。元来、教会の決定には口出しをしないはずの首相、また、通常周囲の様子を確かめるまでは明らかな立場を示さないことで知られる同首相が、敢えて、こういう発言をするにあたっては、ドイツが、戦後ヨーロッパの中で、ずっとくびきをかけられるように引きずってきた過去の過ち、また、それに対する態度を、周辺の国々が見つめているから、と言えます。

 1974年、私ははじめてヨーロッパを訪れました。イギリスの語学研修先には、ヨーロッパ各国からの研修生が来ていました。その中で知り合ったスイス人の研修生は、私たちが「今回はドイツを訪問できなくて残念だ」というと、憤然とした顔をして、「何でドイツなどに行く必要があるのだ、あれは、ナチスの国、戦争犯罪者たちの国ではないか」と一蹴しました。

 1980年代になってオランダ人の夫と結婚してからも、オランダ人のドイツ人嫌いには事あるごとに出会いました。特に、夫の実家は、オランダの東部でドイツの国境に近いこともあり、国境を越えてドイツ人が買い物に来たりするのをよく見かける町でしたが、なんと、戦争から35年以上も経っていたというのに、その当時でも、ドイツのナンバープレートの自動車が来ると、石を投げつけるような人がいたのです。

 そのくせ、ドイツはドイツで、そういう周辺諸国の批判の的にさらされ続けることに、もういい加減にしてくれ、とうんざりすることもあったのかもしれません。
 「ドイツ人が日本人客を見たらどんな冗談を言うか知っているかい。今度戦争をする時には、イタリア人を抜きにして、ドイツと日本だけでやろう、っていうのさ」
というような話が聞こえてきたりしたものです。

 最近、60年代の終わりの学生運動についてのテレビ番組があっていましたが、その中で、「ドイツのあの当時の学生運動は、それまで、ナチスの戦争犯罪の生産をさせられ続けてきたドイツが、西側の資本主義を批判することで、社会問題を自国の過去に追及するだけではなく、問題を「国際化」することに意義があったのだ」という分析をしているコメントがありました。目を開かされる分析だったと思います。

 実際、ドイツの若者たちの間でネオナチの運動が起きていたのも、あの頃だったと思います。

 事実、ヨーロッパにおけるユダヤ人迫害の感情は、ドイツに限ったことではありませんでした。もともと、国境を越え、ダイヤモンド商人などとして商売をしながら移動するユダヤ人に対して、キリスト教者たちは、もともと不信の感情を抱いていたのです。だから、オランダでもフランスでも、ドイツ軍が攻めてきて、ユダヤ人狩りを始めた時、ナチス親派たちが、協力してユダヤ人の隠れ家を密告したことは周知の事実です。戦後、ナチスの生き残りを匿う国は周囲にありましたし、スウェーデンなども、ナチスにはあまり強い批判をしてこなかったといわれています。

 それだけに、ドイツ人にしてみれば、戦後すべてが清算され、敗戦国となった暁に、自国だけが糾弾されることに悔しさを感じている人も少なくなかったはずです。そういう感情が、また、ドイツ人自身を国粋主義に反動させていくという危険もあったはずです。だからこそ、ドイツという国は、公的な場面では、常に、差別の撤廃、特にユダヤ人との関係の公正化を顕示してこなくてはならなかったのです。

 ドイツでは、ホロコースト否認の発言は処罰の対象になります。

 そんな中で、事もあろうに、ドイツ出身のローマ法王が、意図があってのことなのか、あるいは、世界の動きを察知せずに他愛もなく取った行為なのか、は定かでありませんが、ホロコーストを否認した司教を破門から解いたというのですから、ドイツにしてみれば、これまでの努力を水の泡にしてしまう、なんと非常識なローマ法王であろうか、という風に思ったとしても無理はありません。

 現に、こんな他愛もない行為を平然とやってしまう人が、世界に何百万人といるカトリック信者の教会の頂点に立っているということだけでも、多極化の今の時代、ぞっとする事実です。

 ドイツ国内では、今回のメルケル首相の発言に対し、ユダヤ人たちはもとより、カトリック教会の信者たちも、大変歓迎の意思を表明しているとのことです。今更、ドイツ人ローマ法王の過ちで、またしても、ヨーロッパの中で「針のむしろ」に座らせられるのは、とんでもない、、ということでしょう。そんな話を蒸し返して、反動的な勢力に勢いをつけないでほしい、という気持ちもあるでしょう。ドイツは、イスラム系住民の多い国です。経済不況で、ヨーロッパの国々は、どこも、人々が内向きになり、自分たちのとるパイをどう確保するかで必死になっている今、ローマ法王の反動的な行為は、どんな社会的な影響をもつか計り知れないのです。

 ドイツは、ナチスの問題だけでなく、ベルリンの壁が崩壊するまで共産圏にあった旧東ドイツの秘密警察(Stasi)による人権問題も抱えています。(これについては、Das Leben der anderenという映画がお勧めです。日本名「善き人のためのソナタ」)
 人権意識というのは、日本社会を見てもわかりますが、一朝一夕になるものではありません。ですから、言うまでもなく、ドイツだけの問題ではないのですが、ドイツが孤立すればするほど、ドイツ国内には、国粋主義や宗教を媒介に、反人権的な、差別意識が復活する可能性はまだ残っている。そういう意味で、ドイツは、ヨーロッパの中で、やはり大変特殊な国であると思います。

 さて、こう考えてくると、どうも日本が気になります。
 戦争の過去の清算がいまだに曖昧です。一般市民の口でならともかくのこと、首相級の政治家が、戦時中の日本軍の行為を否定するような発言を何度となく繰り返し、何度となく隣国の顰蹙を買っているにもかかわらず、またぞろ、平然と蒸し返されてくるのですから。
 しかも、今の不況は、日本人をますます内向きにし、諸外国のことは「見たくない」、諸外国からは「批判などされたくない」と、国旗を揚げ国歌を歌って国粋主義を鼓舞するだけで、未来に展望を与えない政治家と行政官ばかりなのですから。