2011年5月12日木曜日

ヨーロッパ連合の理想はどこに、、、?

 最近のヨーロッパ諸国の動きを見ていると、どうも欧州連合の理想とは逆行しているような気がする。そして、それは、各国の経済不況、ギリシャ、アイルランド、ポルトガルなどの財政破綻状況、また、アフリカ北部のアラブ諸国における民主化運動と内戦を背景に加速化していっているようだ。

もともと、1990年代の終わりごろから、旧西側ヨーロッパ諸国(ヨーロッパ連合の初期から中期にかけての加盟国)の政府が、いずれも、中道左派から中道右派へと移っていっていた。中でも、戦後から90年代の半ばまで、社会主義的な中道左派の政治力に支えられて、貧富の差が小さく、幸福度や人生に対する満足度が高い、民主的な社会制度を産んできた北欧諸国やオランダといった国々で、右派勢力が力を伸ばしてきていた。

こうした、民主制の程度が高く、高福祉だった国々で、右派勢力が広がった背景には、イスラム教徒らの移民問題があった。そして、北欧やオランダの、国粋主義者やキリスト教保守主義者たちは、イスラム教徒が、もともと西洋民主主義の仕組を理解しない、という論議の上にたって、排斥していた傾向が強い。

ところが、今年に入ってからの、アフリカ北部のアラブ諸国で始まった民衆の力による民主化運動だ。チュニジア、エジプトなどで、独裁政権を倒した民衆の力は、イスラム教が民主化を阻むものではない、ということ、イスラム教徒の社会の中でも民主化運動は起きているということを示すものだった。

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一見、イスラムは遺跡の右派勢力の議論を根底から崩して言ったかに見えるアラブ諸国の民主化運動だが、、、、、

今度は、これらアラブ諸国から内戦のために国外に流出し始めたひとびとの波が、ヨーロッパ諸国への圧力になり始めている。北ヨーロッパの国々は、日本と同じで、高齢化社会が進んでいる。労働人口の現象と高齢化のために、年金支払いその他、高福祉を賄う経済基盤が失われそうになっている。戦後、70年代のオイルショックでは停滞したものの、それから回復してからは欧州連合を基盤にヨーロッパ経済は、順調に成長してきていた。それが、高齢化で立ち止まり、世界に誇る福祉制度も曲がり角に来ている状態だ。無論、その背景には、労働力の安い中国・インドなど、新興発展国の圧力があることは言うまでもない。

そんな中で、数日前、フランスのサルコジ大統領は、欧州連合内でこれまでに廃止されてきていた国境コントロールを再開すべきだ、という議論を始め、イタリアのベルロスコーにもこれに同意を示している。また、昨日のニュースでは、デンマークが、国境コントロールを再開する、と決議したと発表した。

つまりところ、イスラム教の半民主制がどうだとか、女性差別がどうだとか、という議論は、表向きの理屈に過ぎず、欧州諸国は、どこも、財政危機と隣合わせの状況で、いったい、欧州外からの人口移動の波をどう抑えるかで悩んでいるというのが実態だ。要は、宗教や文化ではなく、経済そのものだ。

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こういう欧州連合の旧メンバー国の、内向きで排他的な保守政権の動きに対して、欧州委員会のバロッソ委員長は、国境コントロールはあくまでも必要最小限に、という態度を示した。欧州連合の理念から言って当然だ。

もともと、欧州連合の発端となった石炭・鉄鋼共同体は、経済不況や格差が元で、欧州大陸を元に勃発した二つの大戦と、そのために起きた戦災・戦死者などの惨事をうけ、今後2度とこうした、経済的にも無駄の多いは快適な事態を引き起こさないために、と作られたものだ。経済市場を開放し、自由化することで、オープンに世界に開かれたヨーロッパを作ることが目指されていた。

実際、それは、戦後65年の間に、世界の他の地域に対抗して、ひとつの大きな経済ブロックを作ることに成功したし、高い福祉を実現することにもつながった。
うう
それを今、同じく『経済的な理由」でとじてしまおうとしている。欧州連合に対する懐疑は、メンバー国(特に旧メンバー国)のどこでも勢力を増しつつある。欧州連合のメリット、そして、その背後にある平和維持への理念は、世界中の人々が情報交換をし、異文化の火トビトが、ネット上でも、また、物理的にも接触・交流を始めた、今こそ、世界の理念として広げられるべきであるのに、どうやら、ヨーロッパの人々事態が、外圧を警戒しているようだ。

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ひとつの希望は、欧州諸国の右傾化は、どの国でも、決して、満足できる多数派の支持を得ているわけではないということだ。
北欧高度福祉社会の一つのモデルだったデンマークの右傾化は、ヴェンスタという中道右派勢力と保守党の2党だけでは過半数が取れず、デンマーク人民党という、極右等の閣外支持を基盤にした政権だ。オランダの現政権も同じパターンで、自由民主党とキリスト教民主連盟(CDA)の二つでは過半数に満たないために、極右の自由党の閣外支持の約束のもとにぎりぎりで成り立っている。
とりわけ、アラブ諸国の民主化運動の理念的な背景を考慮すると、こういう極右の議論が、いつまで、人々の支持を得続けることができるのかは疑問だ。


欧州大陸部諸国の、(多くは比例代表制選挙を元にした)多党連立政権は、一方では、ほぼ完全に過半数政党による政治を封殺し、ある政党の理念を強行することが困難な仕組だが、逆に、極端な政治に走ることに対して常にブレーキをかけ続けるものだ。また、多党政治は、政党ごとの主張を明確に下着論文化を背景としており、有権者が議論に加わり、自分の責任で『選択」することを迫る。それは、人々に、政治の行方を意識させる重要な手段ともなる。

人々の議論が継続している限り、民主制度は生きている。

願わくば、そういう民主制度のあり方が、欧州を超えて、世界の他地域にも一般化されることだ。

自分のすむ土地の政治、そして、それを超えて、地域や、ひいては世界の政治には、自分の声が届いていると感じられる社会、そこにいたるまでの道はまだまだ長い。世界中の若者たちが、人生をかけて挑戦するにふさわしい、やりがいのある課題なのかもしれない。

2011年5月3日火曜日

5月5日の選挙制度改正レファレンダムを前に

 明後日5月5日、イギリスで、選挙制度改正のレファレンダムが行われる。

昨年の選挙で、史上初の「連立政権」を樹立したイギリス。しかし、連立合意の一つの重要な柱には、保守党と共に政権入りした「リブ・デム(自由民主)」党の選挙制度改正があった。

イギリスの現行選挙制度は、選挙区制。日本の制度と似ており、選挙区ごとの多数決制であるため、新しい政党、全国に支持者が散らばっている政党にとっては、大変ハンディキャップが大きい。選挙前の世論調査では相当数の支持があったリブ・デム党が、投票後に蓋を開けてみたら、意外なほどに少ない投票数であったことが、選挙の不公正さを顕にした。

最もリブ・デム党の党首クレッグは、オランダやドイツなどの「比例代表制選挙」にはあまり積極的ではないらしい。今回の制度改革案は、フランスの選挙性にもやや似ていて、各選挙区で過半数を獲得する候補者がいなかった場合には、少数獲得候補者を廃して、一人の候補者が過半数を得るまで再選挙する、というものだ。(AV)

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選挙制度は、政治家にとって投票を操作する重要な道具だ。

現行の制度で得票数の多い、つまり、現政府で支持者を得た政党の政治家は、元来、その制度を変える意欲は持たないのが当然だ。それだけに改正を求めるのは少数派であり、改正の実現は困難を極める。

だが、そういう、政治家の選挙操作があるために、政治家自身が、有権者からの信頼を失い、投票行動を低下させ、人々の政治参加意識を萎えさせて、国家社会そのものの「民主」性を麻痺させる危険も持っている。

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イギリスでの来るレファレンダムもまた、リブ・デム党の支持低下傾向の中で、実現されるのかどうか懐疑される傾向も強い。
ただ、そこで今何が議論されているのか、それは、日本の有権者も何より耳を傾けておくべきことであると思う。日本の政治家は、多分、イギリスの選挙制度が民主化されることを好まないだろうし、マスコミのジャーナリストたちの大半は、イギリス国内の改正議論など追いかけてもいないだろう。だからせめて、日本の知識人には英語の情報を読んでおくことを望みたい。政治学者だけの問題ではなく、一般知識人の教養として。

http://www.economist.com/node/18617926?story_id=18617926