2009年6月2日火曜日

パンテオン考

 初夏のパリ、新緑のカルチェ・ラタンを歩く。
 
 セーヌの流れに沿って、左側を「左岸」とかカルチェラタンと呼ぶ。
 昔から、学生の町、知識人の町だった。右岸の華やかさとは異なり、渋さと反骨、反体制の文化が見える街区だ。

 パリはこれまでにも何度か訪れたが、そのたびに、なぜか、観光客の多い忙しいパリに長くいる気がせず、バタバタと駆け足で過ぎ去ることが多かった。
 今回は、たまたま丸2日間、パリで過ごす時間があり、これまであまり足を踏み入れなかった左岸をゆっくり歩いてみた。

 左岸の象徴は、何といってもパンテオンだろう。不思議な建物だと思う。教会として作られたのに、フランス革命の後、人権宣言とそれをもたらした啓蒙思想家や近代科学の担い手らを祀った、いわば、「人権」の象徴、「近代法」の祀り所、シンボルとしての建物だからだ。
 同時に、それは、カトリック信仰に基づく中央集権的な伝統と、フランス革命を起こした人権擁護の伝統という、二つの、ジレンマと緊張を抱えたフランスという国そのものを、体現した建物であると言っていいすぎではないと思う。

 入場料を支払い、本堂に進む。
 真ん中に、高い天井からフーコーの振り子が下げられ、やむことなく、ゆっくりと振り子が触れ続けている。振子を見守るように、百科辞書主義のディドロの像がある。

 真正面の、教会ならば祭壇のある場所には、人権宣言を象徴する彫像があり、石には「自由に生きる、さもなくば死するのみ(Vivre libre, ou mourir)」と刻まれている。大きな荘厳の建物の中で、ゆっくりと揺れ続けるフーコーの振り子に、まるで、催眠術にかけられるようなずしりとした印象を受けた訪問者に、この言葉は、あたかも、天からの啓示のように深く心に響く。

 その両脇の階段から地下に降りると、人権擁護のフランス啓蒙主義を象徴する英雄たちと、以来ずっと擁護されてきた科学研究の発展に貢献した科学者、政治家らの埋葬室に至る。

 その日、私は、ヴォルテールのことをずっと考えていた。
「私はあなたの意見には反対だ、だが、あなたが発言する権利は、命をかけても守る」といったといわれているのがヴォルテールだ。

 思いがけず、パンテオンの地下室に足を踏み入れ、いきなり、ヴォルテールの墓に出会った時には、心の準備がなかっただけに、言いようのないほどの感動で心が揺さぶられた。ヴォルテールの墓の真正面には、同じ年に亡くなったもう一人の啓蒙主義者ジャン・ジャック・ルソーの墓がある。地下埋葬所の中で、ライバルだったこの二人の墓は、それでも、何か、革命を起こしたフランス人の誇りを示しているかのように、特別な地位にある。

 マリー・キュリー夫人の墓には、ポーランド語のメッセージが書かれた花束が添えられていた。
 ソルボンヌ大学を出て、ポロニウムとラジウムという放射性元素を発見してノーベル物理学賞を取ったというキュリー夫人。今、生きていて、核戦争の危機と核処理に悩むこの世界を見たら、彼女は何といっただろう、、、

 パルテノンには、他の観光名所の例に漏れず、パンフレットや土産物を売る売店がある。売店で売られているものの多くは、ヴォルテールやルソーの哲学書、そして、人権宣言にまつわるものだ。人権宣言17カ条を書いたポスターなどもある。

 神社にいく者がお守りを買い、カトリック教会の寺院を訪ねるものが十字架やロザリオを買うように、パルテノンの訪問者たちは、人権宣言のポスターを買うのか、と思うと、ふと、幽かなおかしみがこみ上げてくる。

 パルテノン正面の階段を降り、はるかかなたにエッフェル塔を望みながら、リュクサンブール公園に向かってなだらかな坂道を降りはじめると、すぐに気付くのが、右手にある大学法学部の建物だ。快晴の日の午後、初夏のさわやかさに軽やかに闊歩していく通行人を相手に、法学部の門の前で、葉書大の赤いパンフレットを配っている学生らが数人いた。欧州議会選挙に向けて、左翼連合のキャンペーンをしていた。

 法学部の建物のある側の歩道に沿って、カフェやブラッセリ(軽食堂)と本屋が並ぶ。本屋のショウウィンドウに並ぶ本には、ほとんど「法(droit)」の文字が並ぶ。法学部に続く道路に並んでいるのは、法学関係専門の書籍店ばかりだった。

 そこで、あることにハッと気づいた。
 フランス語の「法」という語は、実は「権利」という語に他ならない。どちらも、同じ、Droitだ。
 英語で言うなら、rightに当たる言葉だ。「右」「まっすぐ」という意味を、フランス語も持っている。けれども、フランス語では、「法学部」という時に、英語のように、Faculty of Lawとは言わず、Faculte de Droitという。つまり、フランスの法学部は、直裁に言えば「権利の学問を学ぶところ」なのだ。
 思えば、オランダ語もそうだ。オランダでも法学部は、Faculteit van rechten(権利)であり、法律を意味するwet(ten)という語は使わない。

 法律は人の権利を守るためのものだ、ということか。
 「自由に生きる、さもなくば死するのみ」
 「自由」という語が、重く重く響く。

 なぜ、そういう単純なことに今まで気づかなかったのだろう、と思った。

 法学とは、権利の学問なのだ。
 権利の議論は、人間の尊厳を奪う権力者から、自由を獲得した、一般市民のために生まれた。

 「人権宣言」の最初の3条が、ずしりと心に響く。


第1条(自由・権利の平等)

人は、自由、かつ、権利において平等なものとして生まれ、生存する。社会的差別は、共同の利益に基づくものでなければ、設けられない。

 

第2条(政治的結合の目的と権利の種類)

すべての政治的結合の目的は、人の、時効によって消滅することのない自然的な諸権利の保全にある。これらの諸権利とは、自由、所有、安全および圧制への抵抗である。

 

第3条(国民主権)

すべての主権の淵源(えんげん=みなもと)は、本質的に国民にある。いかなる団体も、いかなる個人も、国民から明示的に発しない権威を行使することはできない。



 フランスは、不思議な国だ。
 権威を否定する国でありながら、非常に中央集権的で、トップダウンの管理が好きな国だからだ。日本に似ていなくもない。
 だが、この国には、神社ではなく、「自由と権利」を象徴するパンテオンがある。法学を学ぶ学生らは、「権利」を学んでいると思っている。そして、その権利の源は、人権宣言だ。この違いは大きいと思う。