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2009年11月20日金曜日

EU大統領にベルギーの首相ファン・ロンパウ氏が決まる

 11月19日晩、議長当番国スウェーデンの首相を議長として、ブリュッセルで開かれていたヨーロッパ連合(EU)の臨時首脳会議において、EU最初の大統領職にベルギーの現首相で、ヘルマン・ファンロンパウ氏が就任することに決まった。また、EUの外交・安全保障政策を対外的に代表する外装職には、イギリスのキャサリン・アシュトン氏が就任することになった。
 ファンロンパウ氏は、ベルギー内のフラマン(オランダ語)系で、中道右派のキリスト教民主党の政治家。哲学と経済学を学び、政治家ファミリーの出身でもある。これに対して、キャサリン・アシュトン氏は、中道左派の労働党出身。いずれも、対外的には必ずしもよく知られた政治家ではない。特に、アシュトン氏は、外交経験もなく、ヨーロッパ委員(通商担当)経験がわずか13カ月という新顔で、EUの顔となる二つの重職の最初の就任者が、いずれも、カリスマ性の未知な地味な政治家であったことに対しては、賛否両論が交わされている。

中道右派勢力に阻止されたブレア候補

 今回の初めてのEU大統領とEU外相選出については、事前に様々な予測が飛び交うこととなった。
 元より、27カ国もの加盟国を持つEUは、すでに、アメリカ合衆国やロシア、中国などの大国に対して、世界の一大勢力をなすものとして、対外的な統一性の必要が求められていた。ヨーロッパ憲法の設置は、今回の『大統領』『外相』選出と同様に、そのような文脈の中から生まれてきたものだ。
 しかしながら、「多様の中の統一」を目指す、民主的なEUの在り方は、各国の意向を無理なく生かす形の「統一」をどう生み出し維持していくか、という点で、常に緊張をはらんでいる。
 今回のEU大統領についても、EU内で、人口規模が大きく最も勢力が強いとみられるフランスやドイツからの選出は、ほとんど予測されないものだった。

 そんな中で早くから有力候補と見られていたのは、イギリスのブラウン首相が推薦する、元首相トニー・ブレア氏だった。しかし、今年6月のEU議会選挙の結果でも明らかなように、現在のEU議会の主要勢力は、中道右派に移っている。労働党の党首だったブレア氏の候補対しては、フランス、ドイツをはじめ、支持がほとんど得られなかった。その間、ずっと候補者として名前が挙がっていたのが、ベルギーのファンロンパウ首相だった。彼もまた、キリスト教民主党という、中道右派の政治家であるからだ。
 木曜日の朝までは、選出は深夜にまでもつれ込み、翌朝までかかることだろう、との消息筋の見方を覆して、意外なまでに早くあっさりと決まったのは、ブラウン首相の、ブレア推薦撤回であったといわれる。ブラウン首相は、中道右派勢力が圧倒するEUの首脳会議を前に、ブレア就任の可能性がないことを読み取り、撤回に踏み切ったといわれる。さらに、EU内で同じく大きな勢力を持つ社会主義派が、この時点で、外層候補にイギリスからの社会主義派の候補者を支持することで一致団結したと伝えられる。

EU重職への女性進出を求める声

 それが、意外にも、ほとんど知名度のないキャサリン・アシュトン氏の外相就任に結果した。EUの重職についている女性が少ないことに対する指摘、女性の住職就任を求める声が大きかったことが、アシュトン氏の就任を後押しした。もっとも、政治家としては、あまり経験が豊富でなく、ましてや、外交経験のほとんどないアシュトン氏の外交能力については全く未知で、批判や不安の声も皆無ではない。

 アメリカ合衆国では、オバマ政権下で、ヒラリー・クリントンが外相を務める。アシュトン氏は、対米的には、クリントン外相のパートナーになる。また、米国の外交・安全保障政策に対して、アシュトン氏は、中近東やアフガニスタン、また、中国をはじめとするアジア諸国に対しても、ヨーロッパを代表する外交任務を果たしていくことになる。果たして、クリントンの米国外交政策に対して、どのようなEU外交を展開することになるか、非常に興味深い。


多様性の統一を示す顔

 フラマン(オランダ語系)出身のベルギー人、ファンロンパウ氏は、EU大統領の就任が決まった直後のスピーチを、英語・フランス語・オランダ語の3カ国語で行った。その中で、「統一が私たちの力であるとともに、多様性は私たちの豊かさであり続ける」と述べた。
 実に、ヨーロッパの豊かさは多様性にある。そのことは、EU発端となった「ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体」の時代から、ずっと維持されてきた考え方だ。そして、それは、単刀直入に言えば、マイノリティ(少数者)を無視しない、お互いが、マイノリティ同士でありながら、それを互いに尊重していくことによって作り上げる共同体である、ということだ。

 その意味で、言語圏対立を続けながらも、EUのベースブリュッセルを保ち続けている小国ベルギーから、最初の大統領が選出されたことは、最も妥当な結果であったといえよう。

 オバマ大統領からは、さっそく、ヨーロッパは米国にとって「ますます強いパートナーになる」という歓迎のメッセージが伝えられたという。
 ヨーロッパが、対米対立的な政策をとるのではなく、米国がこれまで維持してきた世界覇権に対して、建設的な批判的立場を提示し、世界のマイノリティを尊重した、世界規模での平和に貢献するためのモデル策を提示していく限り、ヨーロッパが持つ世界における指導的位置は、健全であり続けると思う。

 
 

2009年6月23日火曜日

ヨーロッパ議会に新中道右派政党?

 2週間前に行われたヨーロッパ議会選挙は、各国のキリスト教民主系の政党が集まるEPPの勝利が目立つほか、どのヨーロッパ政党にも属さない、独立あるいはその他とされる議員の当選が多かったことも目立っていた。

 そんな中で、昨日のニュースによると、イギリスの保守派当選議員のイニシアチブで、ヨーロッパ議会の中に、中道右派の政党(European Conservatives and Reformists group)を作るという動きが活発化してきている。すでに、他国の当選議員たちとの交渉も始まっており、それによると、イギリスの保守派議員26人に加え、ポーランドの15人、チェコ共和国の9人のほか、ラトヴィア、フィンランド、ハンガリー、ベルギー、オランダの議員参加の可能性もあり、8カ国の議員らを集め第4位の政党になる可能性が出てきている。ヨーロッパ議会の規則では、最低7カ国からなる25人の議員が必要とのことなので、新政党結成の公算は非常に大きい。

 さて、新政党の立場はどこか、というと、すでに、10原則の政党綱領をあげているが、一言でいえば、ユーロ・リアリズム、欧州連合の参加国の個々の統合的な自治を尊重し、欧州連邦主義に反対するというものだ。わかりやすく言えば、欧州連合を各国の動きに優先するのでなく、各国の自治体制をより優先的に、ということらしい。

 挙げられている10カ条の原則には、欧州規則の削減、減税、個人の自由の重視、社会の基礎としての家族の尊重、持続可能なクリーンエネルギー推進、などの典型的な自由主義派の政策に加え、効果的な外国人の入国管理といった、対移民政策が見えるあたりにやや強い保守傾向がみられる。
 欧州の官僚主義を嫌い欧州基金の透明性を求めるといったあたりは、新自由主義的な「小さい政府」を思わせる。いずれにしても、欧州レベルでの管理を嫌って、各国の自治を求めている点が、最も売りではないかと思う。

 かつて、欧州憲法に対するレファレンダムが行われたときに、フランスやオランダなど、欧州連合に設立当初からかかわってきた国で、反対票が多かったことが話題となった。
 欧州連合が拡大を続ける中で、政治の行方が自分たちの手の届かないところで決まっていくという民衆の感情はどの国にも強まってきている。
 高齢化社会と移民の流入によって将来への社会不安が高まる中、トルコ加入問題も常に議論の的になっている。イスラム教徒住民が多いトルコが加入すれば、キリスト教の伝統を持つ欧州各国のアイデンティティはどうなるのか、という感情論もしばしば耳にする。

 そんな中で、今回の選挙で増えていた、無所属や少数政党を代表する「その他」のカテゴリー議員たちは、どちらかというとヨーロッパ連合の拡大と集権化に懐疑的な議員たちだった。

 それが、今回政党結成によってまとまっていくという。非常に興味ある動きだ。
 もしかすると、既存のヨーロッパ政党の中から分離して、新政党に参加するという政党が出てくる可能性もなくはない。

 オランダに関して言えば、「極右」にも近いウィルダーズ率いるPVVが多数得票して欧州議会に5議席を送ることが注目された。ヨーロッパ懐疑派の中でも最も右寄りであるはずだ。
 今回の新政党の動きには、PVVの参加の見通しはないようだ。PVVと同様に、移民対策には注意深い政党となりそうだが、PVVが繰り返す差別的なイスラム教批判はしていない。
 新政党の結成は、PVVにとっても、勢力の低下のきっかけになるかもしれない。現在の(オランダの)移民対策に不満だった人々の票が集まっていた可能性があるからだ。

 地方分権的な、参加国のアイデンティティ保存の上にたつヨーロッパ連合のあり方について、細かい点での違いを代表する政党が生まれる可能性が出てきたのは、今後のヨーロッパ連合の議論をよりダイナミックにするもので、それだけでも非常に興味深い。


2008年12月6日土曜日

理想の民主社会を目指して:「ヨーロッパ連合」という大実験

 オランダやヨーロッパの現代史をテーマにしたノンフィクションをいくつも手掛けているへールト・マック(Geert Mak)という売れっ子の作家がいます。彼が、昨年出た「宮殿ヨーロッパ」(Paleis Europa)」という書の序文の中で、次のように言っています。(ちなみに、この書は、1950年以来ずっと続いてきたヨーロッパ拡大の動きに対して、この数年、オランダ人も含め、ヨーロッパの一般市民の感情が否定的・内向きになっているということに対する問題意識のもとに、オランダ女王の名で個人的に招待された6人の著名なヨーロッパ学・ヨーロッパ政治の第1人者たちが行った講演を記録したものです)
「ヨーロッパの統一は民主化と人権保護推進の分野での未知の運動である。ヨーロッパ連合の拡大は成功に満ちた「ソフト・パワー」をしめす模範的な例である。こんなにもわずかな手段で、民主制度、繁栄、そして、安定を、これほど広範にわたるヨーロッパの地域でこんなにも強力に推進した例はまだほかにない。ローマ協定をきっかけにして、19世紀の初めのナポレオン体制以来、もっとも重要なヨーロッパの近代化プロセスが始まった。数十年にわたる期間、西ヨーロッパの大半の地域に影響を与えた、相互調和的な資本主義の政治は、これまでにないほどの存在価値を示している。世界中どこを探してみても、平均的な市民が、こんなにも多くの施設設備にアクセスできるだけの高い収入を得、しかも、こんなにも多くの余暇を持っているところはない。」(中略)

「わたしたちがもう一つ忘れてはならないのは、このヨーロッパ・プロジェクトが、戦場、爆撃、飢餓、強制収容所、経済恐慌などといった、20世紀のもっとも重苦しい瞬間を生き延びた、一握りのヨーロッパの外交官や政治家たちの、深く、また、共有された熱狂的な願望から生まれたものだったということだ。だからこそ、この人たちの熱狂は、自分自身の私欲や狭隘な国家主義を乗り超えて立ち上ってくるものだったのだ。『わたしたちがやったのはまったく新しい試みだった』『それは、冷徹な2国間取引というような、私たちがそれまでにすでに慣れきっていたような交渉とは全く性質を異にする雰囲気のものだった。それは、そういう取引とは全くレベルの異なるもので、本音と建前の二枚舌を使い分けるようなものでもなく、胸中に切り札を隠し持って応じるようなものでもなく、安易な妥協でもない、真実の解決を求めたものだった。史上初めて、私たちは、本気で、すべての人のための、また、ヨーロッパ全体のために最善のものをつくるために力を尽くしたという気持ちを抱くことができた。』と彼らは言う」

 ヨーロッパを外から眺め、ヨーロッパ連合といえば、やれユーロだ、自由市場だ、基は「ヨーロッパ経済共同体」だった、という風にみている日本人にとって、ヨーロッパ統一の運動が、20世紀前半にヨーロッパに蔓延した大衆政治や独裁によってもたらされた、目を覆いたくなるような悲惨で残忍な対立と戦争の歴史への、深い悲しみと憤りから来たものだ、ということはあまり意識されていないのではないでしょうか。少なくとも、私自身は、そういうことを最近まで意識してきませんでした。
 しかし、ヨーロッパの統一は、元をたどれば、例えばヴィクトル・ユーゴの「ヨーロッパ連邦合衆国」の理想に発するような、統一しがたいものの間に何らかの協調をもたらさなければ、やがては、対立と戦争で、自滅するという、ヨーロッパのエリートたちの切実な思いから生まれたものだったのです。
 そして、経済市場の開放は、それを支えるために、互いの信頼を打ち立て、ともに、力によってではなく、フェアな取引によって強調的に共同使用という、平和のための基礎作りに他ならなかったといえます。
 
 戦争が終わり、都市が灰塵と化した西ヨーロッパの諸々の国が復興に追われていた時代、武器生産に不可欠だった石炭と鉄鋼の市場を、戦勝国も敗戦国も共に分かち合うことに決めた「ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体」は、ヨーロッパ連合の発端を成すものとして、象徴的です。この時に発起国となった6カ国は、ベネルクス三国と呼ばれる元ネーデルランド諸国オランダ・ベルギー・ルクセンブルグと、西ドイツ、フランス、イタリアという、西側を代表するヨーロッパの大国でした。
 その後、1973年には、デンマークとアイルランドとイギリスが、1981年には、ギリシャが、1986年には、スペイン、ポルトガルが、そして、1995年には、オーストリア、フィンランド、スェーデンが加わって15カ国となり、その後、冷戦体制の崩壊以後旧ソビエトから独立して進行国となった国や東欧諸国がヨーロッパ連合への参加交渉をはじめ、2004年には、ついに、チェコ共和国、ハンガリー、ポーランド、スロヴァキア、エストニア、ラトヴィア、リトアニア、スロヴェニア、キプロス、マルタの10カ国が参加、さらに、2007年には、ブルガリア、ルーマニアが参加して、27カ国が参加する大所帯となっています。
 
 ヨーロッパ連合の公式サイトにで、その成り立ち、規約・趣旨をはじめ、歴史的な背景、各国の事情、さまざまの統計など、ありとあらゆる情報を、参加国すべての公用語で公開しており、また、これからヨーロッパの市民として成長していく若い世代のための、わかりやすい解説も用意しています。
 なかでも、繰り返し強調されるのは、ヨーロッパが目指しているのは、統一による画一化ではなく、多様性を維持することの大切さだ、という点です。

「ヨーロッパのポスト産業社会はますます複雑の度を高めている。生活水準は着実に高まってきた、しかし、持てる者と持たざる者との間の差は今も大きい。ヨーロッパの拡大は、ヨーロッパ連合の平均以下の生活水準の国々が参画することによって、この格差をますます広げることになった。ヨーロッパ連合諸国がこの格差を縮小させるために共に働くことが重要だ。
 しかし、そのためのさまざまの努力は連合に参加する国々の異なる文化的、または、言語的な相違の安易な妥協によって果たされているのではない。むしろそれとは全く反対に、多くのヨーロッパ連合の活動は、地域ごとの特性を生かした、また、伝統や文化の豊かな多様性を生かした、新しい経済成長を助けるものである。
 半世紀にわたるヨーロッパの統合は、ヨーロッパ連合が全体として、その一つ一つの部分を単に足し算出たしたものよりも大きなものであることを示している。ヨーロッパ連合は、そのメンバー国がそれぞれ独立に行為するよりもはるかに大きな、経済的、社会的、テクノロジー上の、また、商業上の、さらに政治的なインパクトを持っている。共に行為すること、ヨーロッパ連合として一つにまとまった声を上げることに、付加された価値があるのだ」
 
 このように、多様性は、ヨーロッパ連合にとって重要なキー概念であり、ヨーロッパ民主社会の理想を体現するシンボリックで重要な要素なのです。

 ですが、その多様性、文化差こそが、かつてこの地域を悲惨な対立と戦場にしてきた、、、、

 よく、ヨーロッパ連合の理想はエリートの作り上げたものだ、ということがいわれます。確かにそうかもしれません。しかし、理想のない社会は、やがて、大衆という「顔」の内群れの力で、感情の対立の場に化していきます。もしも、社会の中でエリートの役割があるのだとすれば、人間の尊厳を飽くことなく求め、理想社会のために、誇りを持って生きることを人々に思い出させることでしょう。 ヨーロッパ連合の実験は、アメリカのように、金と権力で動く社会に比べてみても、実に誇り高い理想のもとに進められている、とても難しい実験である、と思います。

多様性と寛容:ヨーロッパのキーワード

 オランダ語を公用語にしている国が、ヨーロッパにはオランダのほかにもう一つあります。ベルギーのフランダース地方のことで、ベルギーでフランダース語と呼ばれているのは、実はオランダ語にほかなりません。(ベルギーはこのほかワロン地方と言ってフランス語圏がありますが、それについてはまた別の折に、、、)

 実際、言語が同じだと、いろいろな点で2国間の協力・共同体制をつくる場面が多いようです。外国人向けのオランダ語(フランダース語)研修や大学間交流・大学の第三者評価制度などはその典型です。 
 とは言うものの、「言葉が同じなら文化も同じようなものなのだろう」と考えるのは早合点というもの。この二つのオランダ語圏では、実は、人々のものの考え方や行動様式、習慣、つまりはメンタリティがかなり違うからです。

 もともと、オランダやベルギー、ルクセンブルグという国々は、その昔、16世紀にスペイン王家が覇権を握っていた時代には、「ネーデルランデン(低地諸国)」としてくくられていた地方でした。その後、スペイン王家の強権に抵抗してネーデルランド共和国が設立されたり、ネーデルランド共和国の独立のための戦争がおこったり、フランス革命ののちにナポレオンがやってきてこの地方を支配したり、ナポレオンの没落後に国家主義の時代が到来したり、などなどとヨーロッパの中心にあるこの地方では様々の紆余曲折がありました。そういう時代を経て、ネーデルランドは結局どうなったかというと、19世紀の半ば、ベルギーはネーデルランド王国から独立します。ルクセンブルグも別に王国として立国しています。

 オランダが、カトリックの中央集権的な強権を基盤としたスペイン王家の支配を嫌って独立戦争を起こした時に、オランダの人々がその精神基盤としたのがプロテスタントの信仰であったのに対して、カトリック信徒が多かったベルギーの地域の人たちは、オランダの一部であり続けること、特に、プロテスタントの信徒であった王室を擁したオランダ王国の一部であることを拒否したからです。

 で、こういう2国間の違いが、具体的に一体どういうところに見られるのか、といいますと、、、
 たとえば、上に述べたような、言語が一緒だから、大学交流ができるからと、両国間のいろいろな共同事業をやっている組織が、両国の専門家を集めて会合を持ったとします。当然、国境を越えて集まってきたのですから、会合の合間にはちょっと気取ってみんなで一緒にランチでもということになりますね。何といっても国際交流ですから。

 こういう時に、オランダでならば、オーガナイザーは、ちょっと気の利いたベイカリーか何かに特製のサンドイッチを注文して出前させます。オランダ人が普段職場で食べるランチというのは、朝食のついでに黒パンにチーズかハムをちょいとはさんで「ボーテルハムザッキェ(サンドイッチバッグ)」と呼ばれる15センチと20センチ四方の、薄くて今にも破れそうなプラスチックの袋に詰めてきたものと、リンゴ、オレンジないしはバナナを一個という感じですから、このベイカリーが作ってくれる、ハムやチーズのほかにサラダまで挟み込まれたサンドイッチは、オランダ人にしてみれば「豪勢な」ランチにほかなりません。何せ、このほかに、サワーミルクや牛乳までグラスに入って供されるのですから、、、、

 ところが、他方、ベルギーで会合が行われたらどういうことになるか、、、、
 カトリックのベルギー人は、質実剛健・禁欲を旨とするオランダ人とは異なり、人をもてなす時にはふんだんに料理を出すのが礼儀と心得ています。そこで、ベルギーのランチは、オランダ人にしてみれば「これがランチ?」と目を丸くするような、肉あり魚あり温野菜ありの、名実ともに豪華な立食パーティないしはテーブルでの食事となるのです。もちろん、食事にぴったり合った味わいのワインも忘れません。
 オランダ国内にも、実は、ライン川の南側とか、東部の一部の地域にはカトリック教徒が多数を占める地域があり、プロテスタントの質実剛健とは風情を異にする、どちらかというと大判振る舞いの文化や習慣があります。
 というようなわけで、プロテスタントとカトリックの背景は、このライン川あたりを境として、人々のメンタリティにかなりの影響力を与えています。

 ベルギーのワロン地方から以南、フランス、スペイン、ポルトガル、そして、地中海をはさんで東側のイタリアなどは、いわゆる「西ヨーロッパ」といわれる地域の中でもカトリックが圧倒的に多数を占める国々です。時に「南欧」とくくられたりもします。
 ご存じのように、カトリック教会というのは、ローマ法王の権威がとても大きく、その影響なのか、これら南欧の国々では、おおざっぱではありますが、社会制度においても中央集権的な支配体制に慣れているという感じがします。とは言いながら一国一国を詳細にみてみると、なかなか独自性が強い。
 スペインやポルトガルは70年代まで独裁体制が続いていました。それに対して、フランスは、中央集権の強い国ではありますが、18世紀に市民革命を起こして王制を倒し市民社会を実現したという誇りを持っており、市民意識はそれなりに尊重されている。イタリアはイタリアで、洗練された文化は、フランスなどよりも、ルネッサンスを興した自分の国の方だと思っているし、その割には、ミラノなどの北部に比べてナポリやコルシカなどの南の地方は貧困の度合いが強いし、子だくさんの肝っ玉母さんの国、マフィアの国、というイメージもある、、、

 プロテスタントとカトリックが共存しているという点ではドイツもオランダと同じですが、小国オランダに比べると、ドイツは独立性の高い州(ラント)が集まった連邦国でもあり、オランダのように平準性・画一性が高い国とは異なり、州によってメンタリティも制度も相当に差があります。ドイツの場合、それに加えて、かつてヒトラーのナチスを生んだこと、東西ドイツに分裂していたことなどが、他の西ヨーロッパ諸国にはない傷となり悩みにもなっている(これもまた別の機会に詳説します)、、、

 外国語といえばまずは「英語」しか頭に浮かばない日本人にとって、ヨーロッパの入り口はイギリスになるのが常ですが、イギリス人たちというのは、実を言うと、いまだに「自分たちはヨーロッパ人ではない」と思っている人もいるくらい、大陸ヨーロッパへのアイデンティティに心の底で抵抗を持っている人たちなのです。ロンドン塔などを訪れるとすぐにわかりますが、島国イギリスにとっては長い間海原の向こうは敵国という意識があったのでしょう、技術革新の基本は武器の発達だったのだな、ということをつくづく感じます。その勢いで、19世紀には世界に植民地を抱えた大英帝国だったのですから、「ケチな」ヨーロッパに与するものか、と思っている。ヨーロッパ共同体に参加するのも長い間躊躇していたし、ユーロ導入にも参加せずに今でもポンドを握りしめています。社会階層意識が強いことでは多分ヨーロッパの中でもダントツではないでしょうか。
 ブッシュ大統領が無謀にイラク攻撃を始めた時でさえ、「アングロサクソン」の連帯とかなんとか理由をつけて、なんと、労働党のブレア首相がブッシュを支持していたくらいです。


 ヨーロッパは、そういうわけで、そうそう簡単に十羽ひとからげにはできない地域です。というより、この一国一国の違い、多様性を内に含んだ地域それ自体が、一つのダイナミックで興味深い動きを内蔵したさまざまの可能性を秘めた地域であるとも言えます。可能性は、当然望ましいことも考えられますが、その後ろには分裂というリスクも含んでいる。この緊張が、北米やアジアの先進諸国地域とは異なるヨーロッパの目立った特徴、独自性であると思います。

 北に行けば、福祉国家で有名な北欧諸国がある。冷戦体制の崩壊とともに、北部や東部には、かつてソビエト連邦の域内にあった信仰のスラブ地域もあります。また、東欧圏と言われた国々も、次々とヨーロッパ連合に加盟しています。

 分裂や、ひょっとすると武装対立にもなりかねない「多様性の共存」という課題を抱えながら、ヨーロッパの国々は、互いの「寛容」をどう組み立てていこうかと悩みながら、それでもリーダーたちがなんとか連携を図ろうと努力しています。この緊張感がなかなか興味深いのです。そして、それは、アメリカ合衆国の強権を強く意識したものであることは否めません。アメリカ合衆国の社会づくりとは異なる論理で、多様性を生かし、なおかつ平和を維持しようという努力が、ヨーロッパの連合体制にほかなりません。