2008年12月6日土曜日

理想の民主社会を目指して:「ヨーロッパ連合」という大実験

 オランダやヨーロッパの現代史をテーマにしたノンフィクションをいくつも手掛けているへールト・マック(Geert Mak)という売れっ子の作家がいます。彼が、昨年出た「宮殿ヨーロッパ」(Paleis Europa)」という書の序文の中で、次のように言っています。(ちなみに、この書は、1950年以来ずっと続いてきたヨーロッパ拡大の動きに対して、この数年、オランダ人も含め、ヨーロッパの一般市民の感情が否定的・内向きになっているということに対する問題意識のもとに、オランダ女王の名で個人的に招待された6人の著名なヨーロッパ学・ヨーロッパ政治の第1人者たちが行った講演を記録したものです)
「ヨーロッパの統一は民主化と人権保護推進の分野での未知の運動である。ヨーロッパ連合の拡大は成功に満ちた「ソフト・パワー」をしめす模範的な例である。こんなにもわずかな手段で、民主制度、繁栄、そして、安定を、これほど広範にわたるヨーロッパの地域でこんなにも強力に推進した例はまだほかにない。ローマ協定をきっかけにして、19世紀の初めのナポレオン体制以来、もっとも重要なヨーロッパの近代化プロセスが始まった。数十年にわたる期間、西ヨーロッパの大半の地域に影響を与えた、相互調和的な資本主義の政治は、これまでにないほどの存在価値を示している。世界中どこを探してみても、平均的な市民が、こんなにも多くの施設設備にアクセスできるだけの高い収入を得、しかも、こんなにも多くの余暇を持っているところはない。」(中略)

「わたしたちがもう一つ忘れてはならないのは、このヨーロッパ・プロジェクトが、戦場、爆撃、飢餓、強制収容所、経済恐慌などといった、20世紀のもっとも重苦しい瞬間を生き延びた、一握りのヨーロッパの外交官や政治家たちの、深く、また、共有された熱狂的な願望から生まれたものだったということだ。だからこそ、この人たちの熱狂は、自分自身の私欲や狭隘な国家主義を乗り超えて立ち上ってくるものだったのだ。『わたしたちがやったのはまったく新しい試みだった』『それは、冷徹な2国間取引というような、私たちがそれまでにすでに慣れきっていたような交渉とは全く性質を異にする雰囲気のものだった。それは、そういう取引とは全くレベルの異なるもので、本音と建前の二枚舌を使い分けるようなものでもなく、胸中に切り札を隠し持って応じるようなものでもなく、安易な妥協でもない、真実の解決を求めたものだった。史上初めて、私たちは、本気で、すべての人のための、また、ヨーロッパ全体のために最善のものをつくるために力を尽くしたという気持ちを抱くことができた。』と彼らは言う」

 ヨーロッパを外から眺め、ヨーロッパ連合といえば、やれユーロだ、自由市場だ、基は「ヨーロッパ経済共同体」だった、という風にみている日本人にとって、ヨーロッパ統一の運動が、20世紀前半にヨーロッパに蔓延した大衆政治や独裁によってもたらされた、目を覆いたくなるような悲惨で残忍な対立と戦争の歴史への、深い悲しみと憤りから来たものだ、ということはあまり意識されていないのではないでしょうか。少なくとも、私自身は、そういうことを最近まで意識してきませんでした。
 しかし、ヨーロッパの統一は、元をたどれば、例えばヴィクトル・ユーゴの「ヨーロッパ連邦合衆国」の理想に発するような、統一しがたいものの間に何らかの協調をもたらさなければ、やがては、対立と戦争で、自滅するという、ヨーロッパのエリートたちの切実な思いから生まれたものだったのです。
 そして、経済市場の開放は、それを支えるために、互いの信頼を打ち立て、ともに、力によってではなく、フェアな取引によって強調的に共同使用という、平和のための基礎作りに他ならなかったといえます。
 
 戦争が終わり、都市が灰塵と化した西ヨーロッパの諸々の国が復興に追われていた時代、武器生産に不可欠だった石炭と鉄鋼の市場を、戦勝国も敗戦国も共に分かち合うことに決めた「ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体」は、ヨーロッパ連合の発端を成すものとして、象徴的です。この時に発起国となった6カ国は、ベネルクス三国と呼ばれる元ネーデルランド諸国オランダ・ベルギー・ルクセンブルグと、西ドイツ、フランス、イタリアという、西側を代表するヨーロッパの大国でした。
 その後、1973年には、デンマークとアイルランドとイギリスが、1981年には、ギリシャが、1986年には、スペイン、ポルトガルが、そして、1995年には、オーストリア、フィンランド、スェーデンが加わって15カ国となり、その後、冷戦体制の崩壊以後旧ソビエトから独立して進行国となった国や東欧諸国がヨーロッパ連合への参加交渉をはじめ、2004年には、ついに、チェコ共和国、ハンガリー、ポーランド、スロヴァキア、エストニア、ラトヴィア、リトアニア、スロヴェニア、キプロス、マルタの10カ国が参加、さらに、2007年には、ブルガリア、ルーマニアが参加して、27カ国が参加する大所帯となっています。
 
 ヨーロッパ連合の公式サイトにで、その成り立ち、規約・趣旨をはじめ、歴史的な背景、各国の事情、さまざまの統計など、ありとあらゆる情報を、参加国すべての公用語で公開しており、また、これからヨーロッパの市民として成長していく若い世代のための、わかりやすい解説も用意しています。
 なかでも、繰り返し強調されるのは、ヨーロッパが目指しているのは、統一による画一化ではなく、多様性を維持することの大切さだ、という点です。

「ヨーロッパのポスト産業社会はますます複雑の度を高めている。生活水準は着実に高まってきた、しかし、持てる者と持たざる者との間の差は今も大きい。ヨーロッパの拡大は、ヨーロッパ連合の平均以下の生活水準の国々が参画することによって、この格差をますます広げることになった。ヨーロッパ連合諸国がこの格差を縮小させるために共に働くことが重要だ。
 しかし、そのためのさまざまの努力は連合に参加する国々の異なる文化的、または、言語的な相違の安易な妥協によって果たされているのではない。むしろそれとは全く反対に、多くのヨーロッパ連合の活動は、地域ごとの特性を生かした、また、伝統や文化の豊かな多様性を生かした、新しい経済成長を助けるものである。
 半世紀にわたるヨーロッパの統合は、ヨーロッパ連合が全体として、その一つ一つの部分を単に足し算出たしたものよりも大きなものであることを示している。ヨーロッパ連合は、そのメンバー国がそれぞれ独立に行為するよりもはるかに大きな、経済的、社会的、テクノロジー上の、また、商業上の、さらに政治的なインパクトを持っている。共に行為すること、ヨーロッパ連合として一つにまとまった声を上げることに、付加された価値があるのだ」
 
 このように、多様性は、ヨーロッパ連合にとって重要なキー概念であり、ヨーロッパ民主社会の理想を体現するシンボリックで重要な要素なのです。

 ですが、その多様性、文化差こそが、かつてこの地域を悲惨な対立と戦場にしてきた、、、、

 よく、ヨーロッパ連合の理想はエリートの作り上げたものだ、ということがいわれます。確かにそうかもしれません。しかし、理想のない社会は、やがて、大衆という「顔」の内群れの力で、感情の対立の場に化していきます。もしも、社会の中でエリートの役割があるのだとすれば、人間の尊厳を飽くことなく求め、理想社会のために、誇りを持って生きることを人々に思い出させることでしょう。 ヨーロッパ連合の実験は、アメリカのように、金と権力で動く社会に比べてみても、実に誇り高い理想のもとに進められている、とても難しい実験である、と思います。