2008年12月6日土曜日

多様性と寛容:ヨーロッパのキーワード

 オランダ語を公用語にしている国が、ヨーロッパにはオランダのほかにもう一つあります。ベルギーのフランダース地方のことで、ベルギーでフランダース語と呼ばれているのは、実はオランダ語にほかなりません。(ベルギーはこのほかワロン地方と言ってフランス語圏がありますが、それについてはまた別の折に、、、)

 実際、言語が同じだと、いろいろな点で2国間の協力・共同体制をつくる場面が多いようです。外国人向けのオランダ語(フランダース語)研修や大学間交流・大学の第三者評価制度などはその典型です。 
 とは言うものの、「言葉が同じなら文化も同じようなものなのだろう」と考えるのは早合点というもの。この二つのオランダ語圏では、実は、人々のものの考え方や行動様式、習慣、つまりはメンタリティがかなり違うからです。

 もともと、オランダやベルギー、ルクセンブルグという国々は、その昔、16世紀にスペイン王家が覇権を握っていた時代には、「ネーデルランデン(低地諸国)」としてくくられていた地方でした。その後、スペイン王家の強権に抵抗してネーデルランド共和国が設立されたり、ネーデルランド共和国の独立のための戦争がおこったり、フランス革命ののちにナポレオンがやってきてこの地方を支配したり、ナポレオンの没落後に国家主義の時代が到来したり、などなどとヨーロッパの中心にあるこの地方では様々の紆余曲折がありました。そういう時代を経て、ネーデルランドは結局どうなったかというと、19世紀の半ば、ベルギーはネーデルランド王国から独立します。ルクセンブルグも別に王国として立国しています。

 オランダが、カトリックの中央集権的な強権を基盤としたスペイン王家の支配を嫌って独立戦争を起こした時に、オランダの人々がその精神基盤としたのがプロテスタントの信仰であったのに対して、カトリック信徒が多かったベルギーの地域の人たちは、オランダの一部であり続けること、特に、プロテスタントの信徒であった王室を擁したオランダ王国の一部であることを拒否したからです。

 で、こういう2国間の違いが、具体的に一体どういうところに見られるのか、といいますと、、、
 たとえば、上に述べたような、言語が一緒だから、大学交流ができるからと、両国間のいろいろな共同事業をやっている組織が、両国の専門家を集めて会合を持ったとします。当然、国境を越えて集まってきたのですから、会合の合間にはちょっと気取ってみんなで一緒にランチでもということになりますね。何といっても国際交流ですから。

 こういう時に、オランダでならば、オーガナイザーは、ちょっと気の利いたベイカリーか何かに特製のサンドイッチを注文して出前させます。オランダ人が普段職場で食べるランチというのは、朝食のついでに黒パンにチーズかハムをちょいとはさんで「ボーテルハムザッキェ(サンドイッチバッグ)」と呼ばれる15センチと20センチ四方の、薄くて今にも破れそうなプラスチックの袋に詰めてきたものと、リンゴ、オレンジないしはバナナを一個という感じですから、このベイカリーが作ってくれる、ハムやチーズのほかにサラダまで挟み込まれたサンドイッチは、オランダ人にしてみれば「豪勢な」ランチにほかなりません。何せ、このほかに、サワーミルクや牛乳までグラスに入って供されるのですから、、、、

 ところが、他方、ベルギーで会合が行われたらどういうことになるか、、、、
 カトリックのベルギー人は、質実剛健・禁欲を旨とするオランダ人とは異なり、人をもてなす時にはふんだんに料理を出すのが礼儀と心得ています。そこで、ベルギーのランチは、オランダ人にしてみれば「これがランチ?」と目を丸くするような、肉あり魚あり温野菜ありの、名実ともに豪華な立食パーティないしはテーブルでの食事となるのです。もちろん、食事にぴったり合った味わいのワインも忘れません。
 オランダ国内にも、実は、ライン川の南側とか、東部の一部の地域にはカトリック教徒が多数を占める地域があり、プロテスタントの質実剛健とは風情を異にする、どちらかというと大判振る舞いの文化や習慣があります。
 というようなわけで、プロテスタントとカトリックの背景は、このライン川あたりを境として、人々のメンタリティにかなりの影響力を与えています。

 ベルギーのワロン地方から以南、フランス、スペイン、ポルトガル、そして、地中海をはさんで東側のイタリアなどは、いわゆる「西ヨーロッパ」といわれる地域の中でもカトリックが圧倒的に多数を占める国々です。時に「南欧」とくくられたりもします。
 ご存じのように、カトリック教会というのは、ローマ法王の権威がとても大きく、その影響なのか、これら南欧の国々では、おおざっぱではありますが、社会制度においても中央集権的な支配体制に慣れているという感じがします。とは言いながら一国一国を詳細にみてみると、なかなか独自性が強い。
 スペインやポルトガルは70年代まで独裁体制が続いていました。それに対して、フランスは、中央集権の強い国ではありますが、18世紀に市民革命を起こして王制を倒し市民社会を実現したという誇りを持っており、市民意識はそれなりに尊重されている。イタリアはイタリアで、洗練された文化は、フランスなどよりも、ルネッサンスを興した自分の国の方だと思っているし、その割には、ミラノなどの北部に比べてナポリやコルシカなどの南の地方は貧困の度合いが強いし、子だくさんの肝っ玉母さんの国、マフィアの国、というイメージもある、、、

 プロテスタントとカトリックが共存しているという点ではドイツもオランダと同じですが、小国オランダに比べると、ドイツは独立性の高い州(ラント)が集まった連邦国でもあり、オランダのように平準性・画一性が高い国とは異なり、州によってメンタリティも制度も相当に差があります。ドイツの場合、それに加えて、かつてヒトラーのナチスを生んだこと、東西ドイツに分裂していたことなどが、他の西ヨーロッパ諸国にはない傷となり悩みにもなっている(これもまた別の機会に詳説します)、、、

 外国語といえばまずは「英語」しか頭に浮かばない日本人にとって、ヨーロッパの入り口はイギリスになるのが常ですが、イギリス人たちというのは、実を言うと、いまだに「自分たちはヨーロッパ人ではない」と思っている人もいるくらい、大陸ヨーロッパへのアイデンティティに心の底で抵抗を持っている人たちなのです。ロンドン塔などを訪れるとすぐにわかりますが、島国イギリスにとっては長い間海原の向こうは敵国という意識があったのでしょう、技術革新の基本は武器の発達だったのだな、ということをつくづく感じます。その勢いで、19世紀には世界に植民地を抱えた大英帝国だったのですから、「ケチな」ヨーロッパに与するものか、と思っている。ヨーロッパ共同体に参加するのも長い間躊躇していたし、ユーロ導入にも参加せずに今でもポンドを握りしめています。社会階層意識が強いことでは多分ヨーロッパの中でもダントツではないでしょうか。
 ブッシュ大統領が無謀にイラク攻撃を始めた時でさえ、「アングロサクソン」の連帯とかなんとか理由をつけて、なんと、労働党のブレア首相がブッシュを支持していたくらいです。


 ヨーロッパは、そういうわけで、そうそう簡単に十羽ひとからげにはできない地域です。というより、この一国一国の違い、多様性を内に含んだ地域それ自体が、一つのダイナミックで興味深い動きを内蔵したさまざまの可能性を秘めた地域であるとも言えます。可能性は、当然望ましいことも考えられますが、その後ろには分裂というリスクも含んでいる。この緊張が、北米やアジアの先進諸国地域とは異なるヨーロッパの目立った特徴、独自性であると思います。

 北に行けば、福祉国家で有名な北欧諸国がある。冷戦体制の崩壊とともに、北部や東部には、かつてソビエト連邦の域内にあった信仰のスラブ地域もあります。また、東欧圏と言われた国々も、次々とヨーロッパ連合に加盟しています。

 分裂や、ひょっとすると武装対立にもなりかねない「多様性の共存」という課題を抱えながら、ヨーロッパの国々は、互いの「寛容」をどう組み立てていこうかと悩みながら、それでもリーダーたちがなんとか連携を図ろうと努力しています。この緊張感がなかなか興味深いのです。そして、それは、アメリカ合衆国の強権を強く意識したものであることは否めません。アメリカ合衆国の社会づくりとは異なる論理で、多様性を生かし、なおかつ平和を維持しようという努力が、ヨーロッパの連合体制にほかなりません。