2008年12月6日土曜日

ブリュッセル:ヨーロッパ連合のパラドックス

 ブリュッセルといえばヨーロッパの中心地、日本の新聞社などもほとんどがブリュッセル支局を持っているのではないでしょうか。それというのも、ブリュッセルは、ヨーロッパ連合の議会場を抱えているからです。連合関係者だけではなく、ヨーロッパ各国のさまざまの企業や市民団体、国の出先機関なども、ヨーロッパ連合関係者との交渉のためにブリュッセルに支所を持っています。ヨーロッパのさまざまの意味でのエリート、リーダーたちが絶えず集まってくるブリュッセルは、ですから、ベルギーの首都、ベルギー王家の大きなお城がある街、小便小僧(マネケ・ピス)のいる街というだけでなく、ちょっと気取った、少々値の張るおしゃれな店やレストランが並ぶ高級エリート好みの街でもあります。

 それにしても、なぜ、ブリュッセルがヨーロッパ連合の首都の役割を果たすことになったのでしょうか。
 もともと、ヨーロッパ連合の母体になったのは、1951年につくられた「欧州石炭鉄鋼共同体(European Coal and Steel Community, ECSC)」という団体でした。この組織は、第2次世界大戦後、戦勝国と敗戦国との間で、平等な関係で共有の機関をつくって協力することによって、平和を保障しようという願いのもとに、ベルギー、西ドイツ、フランス、イタリア、ルクセンブルグ、オランダの6カ国の間の協定によってつくられたものです。
 当時は、エネルギー源として、石油よりも石炭にかなり依存していた時代です。
 ベルギーには、リエージュなど、ワロン地域(フランス語圏)と呼ばれる当方の地域で石炭の生産が多く、また、6カ国のうち、オランダやルクセンブルグと並んで小国であったことが、こういう国際協力組織においては、かえって中心となり、調停的な立場に立つことを期待されていたのではないか、と思います。
 この「欧州石炭鉄鋼共同体」の当初のメンバーだった6カ国は、6年後の1957年、石炭に限らず、より広い物資やサービスの市場開放に向けて、「欧州経済共同体(EEC)」を打ち立てています。
 さて、ベルギーは、オランダ語を話す人たちが住むフランダース地方と、フランス語を話す人たちが住むワロン地方との2つの言語地域に分かれています。「欧州石炭鉄鋼共同体」や「欧州経済共同体」ができたころには、こういう、2言語地域共存が、かえって、未来のヨーロッパを映し出すような、多様性の共存を象徴するというような期待や意味合いも、ひょっとしたらあったかもしれません。
 けれども、現実には、その後のベルギーは、この二つの言語地域の存在によって、連帯や統合よりも、むしろ分極の傾向を強めてきたという、いささかパラドックスに満ちた経過をたどっています。 
 もともと、ベルギーは国土がオランダ(ネーデルランド)の一部であったこともあり、オランダからすると「弟分」のような感覚の国です。多分、フランスからみると、フランス語圏を持ち、フランス語とは少し違ったベルギーなまりのフランス語を話すベルギーは、やはり、親せきのような感じではないか、と思います。それなのに、ベルギーの中では、フランダース地方にいるオランダ語を話す人たちとワロン地方にいるフランス語と話す人たちとの間は、まるで犬猿の中。お互いがお互いを毛嫌いする、対立的な雰囲気があるのです。
 たぶん、ヨーロッパに関心のある方は、昨年、総選挙後のベルギーで、いつまでたっても連合交渉が成立せず、政権が樹立できずに、ほぼ無政府状態にあったのを覚えておられるのではないか、と思います。
 
 もともと、ベルギーは、昔から、西ヨーロッパの繁栄の中心地でした。特に、アントワープの港を中心にした商業、その周辺地域での織物業、さらに、ワロン(フランス語)地域にあるアルデンヌ高地は石炭工業や鉄鋼業で栄えていました。
 ところが、その繁栄は、石炭業の衰退によって暗転し、それがもとで、国内の産業構造が変わり、国の統合にも大きな影響が及ぶのです。昨年2007年の総選挙後、この国の政権交渉が手こずり無政府状態に近い状態が長く続いた遠因も、ここにあります。

 ベルギーを二つに分けているフラマン系の地域とワロン系の地域とは、昔から人々の交渉が少なく、産業も、前者が商業・織物業、後者が石炭採掘と鉄鋼業に特化されていた傾向があり、利害関係に共通性が少なかった地域でした。以前は、どちらかというとワロン系の地域の方が栄えていて、しかも、フランス語は「リンガ・フランカ」といわれるヨーロッパの共通語、また、ドイツから迎えられたレオポルド王を中心に王族・貴族もワロン系の地域に住んでいました。つまり、繁栄の地であると同時に、社会的にも上流の人々が住んでいたのです。
 ところが、石炭業の廃止と共にワロン地域は没落。逆に、以前は、どちらかというとワロン系の人々が見下していたフラマン系の地域の方が、商業やサービス業で栄えていくのです。けれども、フラマン系の人々は、ワロン系のスノビズムが大嫌い。そんなこともあってか、産業でも両者の交流は断たれているらしいのです。

 そういえばふと思い出すのですが、かつて、私がボリビアに住んでいたころ、二人のベルギー人の女性と知り合いになりました。せっかくだからと二人を合わせようと家に招いたところ、自己紹介の時から、二人とも、何語で話をしようか、と躊躇しているのです。「結局共通語で英語で行きましょう」ということになったのですが、それは、そこに私がいたからではありません。二人とも、学校では、フラマン語(オランダ語)とフランス語の両方を習っているのに、どちらも、相手に譲る気がなかった、相手の母語に合わせる気がなかったからなのです。

 そんな風ですから、ベルギーでは、政党も、自由主義系、社会主義系、キリスト教保守系などとあるにもかかわらず、それらがことごとく、フラマン系とワロン系に分かれています。政治的立場よりも、言語圏に対するアイデンティティや利害意識の方が強いのです。

 結局、ベルギーの政治が落ち着かない最大の原因は、かつて栄光を享受していたワロン系の地域に圧倒的に高い失業者がいるというのに、反映しているフラマン系の地域の企業はワロン系に労働機会を提供しようとしないからだといわれています。
 フランス語圏のことはよく知りませんが、オランダ語圏では、時折、オランダに帰ろうじゃあないか、というような話が時々出てきているようです。少なくとも、フランス語圏のベルギー人と一緒に何かをやるより、オランダと一緒に国際交流やビジネスをやりたい、というような雰囲気はあります。
 それじゃあ、オランダは、このベルギーのオランダ語圏を「併合する」ほどの気があるのか、というと、そういう話はあまり本気で聞いたことはありません。

 文化の違い、言葉の違いを乗り越えて、ヨーロッパの平和と協調を追求するという理想は素晴らしいものです。ですが、そういうタテマエの後ろに、実は、失業などの食う、食わずの事態が起きると、「協調」などというきれいごとは、とても言ってはいられない、という状況が現実のものになってしまう。ヨーロッパ連合の首都ブリュッセルを抱えるベルギーは、自ら、「連合すること」の難しさを如実に体現している国でもあります。